地域共生に「模範解答」はない―大雨の千葉で考えた、人と地域のつながり
千葉は今日も水浸し。
警戒レベル5の「緊急安全確保」が発令される佐倉市では、地域共生を支える医療介護市民全国ネットワークの「全国のつどい」 が開催されました。
三島泰之先生の人柄溢れる、エモーショナルというかアーティスティックな大会長講演に続き、厚生労働省の長嶺由衣子先生、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究学科准教授の長津結一郎先生とともに「地域共生」に関するメインシンポジウムに登壇させていただきました。
僕に与えられたのは『「ひと」の視点』。
せっかくなので敢えて医療・介護ではない文脈から地域共生を考えてみたいと思ったけど、結局、脳みそが医療化されてしまっていて、なかなか脱線できない。医者が地域とか社会的処方とか語ってはいかんな、と改めて思ったのでした。
そもそも社会的処方っていう言葉自体も、すでに地域・コミュニティを医療化してしまうリスクを持っているようにも思う。人々が豊かにいきるための地域資源をわざわざ「処方」する、というのは、なんとなくおこがましいようにも。
社会的処方の発祥の地?英国は、結局、医療ケア資源の不足を地域でカバーしようという意図もあり、ボグタン先生とか、そういう領域で成果を上げておられるけれども、何をアウトカムにするのか、というのによっても、評価は変わる。
みんなで楽しく集まっているのを「社会資源」と定義され、「この人も仲間に入れてあげて、孤独はよくないから」みたいな公的介入は、地域の幸せを増やすのか、それとも窮屈さを増やすのか。
長津先生は、それぞれのコミュニティ・対象者によって関わり方(介入)は変わるし、それぞれの文化を尊重することが大切、みたいなニュアンスの発言をされていたけど、まさにその通りだと思うし、それをお役所が「地域包括ケアシステム」みたいな感じで仕組み化しようとすると、本来のコミュニティとしての機能が損なわれてしまう。長嶺先生は(田中滋先生のご意見として)まさにそこを指摘されていたが、それもその通りだと思う。
地域もコミュニティも、何が「いい」のか、それはそれぞれや、それぞれの構成メンバーによって異なるわけだし、「模範解答」が押し付けられるのは最悪だと思う。それは在宅医療における意思決定支援においても全く同じだけれど。
結局、もやっとしたものだよね、という結論で、もやっとした感じで終わったのですが、それはそれでよかったと思います。
会場では久しぶりに新型コロナ募金でご一緒させていただいた小坂健先生(相変わらずダンディです)にもお会いできて、ちょこっとでしたが有意義なお話が伺えたり、台湾在宅医療学会の余先生や(この人日本に住んでおられるのではないだろうか)、勇美記念財団の住田理事長にもご挨拶できました。
シンポジウムを終えて、訪問診療に復帰。
しかし、思いの他、雨が強くなり、すでに一部道路が安全に通行できる状況でなくなってきているという判断で、午後の診療はオンラインに切り替えました。
連携する老人ホームでは、看護師さんと事務員さんがタブレットをもって患者さんのお部屋を一軒ずつ回ってくださり、身体所見の確認や難聴の患者さんへの伝言など、DtoPwithN(看護師を経由したオンライン診療)の有用性を改めて感じました。
患者さんたちも「テレビ電話?!」と喜んでくれて、一生懸命、画面の向こうから手を振ってくれたり、なにより、お互いマスクフリーでお話できたのもよかったと思います。
訪問診療はこういう形で、徐々にオンライン診療との組み合わせになっていくのかな。これは患者さんの満足度や診療の完成度をあまり毀損しないし、またオンラインでのやり取りをAIで書き取り・サマライズ、あるいは動画そのものを記録としてアーカイブすれば、電子カルテをわざわざ入力する手間も省けるし、これによって生まれた移動コスト削減分を医師はより生産性の高い仕事に回しうるし。
問題は診療報酬が減額になってしまうこと。
このあたり、医学総合管理料も、プロセス評価ではなく、アウトカム評価にしてもらうことでクリアできそうな気もしますが・・
とりあえず排水キャパシティがオーバーする前に雨が止んでくれることを願うばかり。「全国のつどい」の懇親会は、法人危機管理の視点から、本日は参加を見送らせていただきました。関係者の皆様、ご無礼をお許しください。
そして、どうぞお気をつけて。
佐々木淳


