最期の決断に、正解はない。
自ら緩和医療に長く携わってきた朱為民先生自身も、父親の最期を前にすると、一人の家族として深く迷ったという。
父親が食べられなくなり、経鼻胃管を入れるかどうかを尋ねられた。しかし、父親が人工栄養を望むのかどうか、聞いたことがなかった。胃管を入れないことが父親の意思なのか、それとも自分の価値観を押しつけているだけなのか。
専門知識があっても、その答えに確信は持てなかった。
父親は穏やかに亡くなった。
それでも朱先生の中には、「あの判断でよかったのか」という問いが残ったという。
大切な人の最期について話すのは、簡単なことではない。
しかし、何も話さないままでは、家族がその人の人生を背負って決断することになる。
自分が何を望み、何を望まないのかを伝えておくことは、自分らしい最期を守るだけではない。
残される家族に残せる、最後の思いやりでもある。
ただ、自分にとって何が最善の選択なのか、最後まで確信が持てない人もいる。
そのような場合には、最後まで一緒に悩み続ける、という選択肢があってもいい。
その過程の中で、本人の価値観や人生観、優先順位や判断基準をそれとなくでも理解することができれば、伴走者はそれに従って判断をすればいい。
意思決定支援は簡単なようで難しい。
決めておける人は決めておいてもいい。
だけど、決められない、決めたくない、という意思表示もある。
僕はそのどちらも大切にしたいと思う。
そして、後者の人たちのために最期まで一緒に悩みながら伴走していきたい。
佐々木淳
『過了幾天,照顧爸的護理師問我:「朱醫師,朱爸爸越吃越少,每餐都只有吃一兩口,你要不要放鼻胃管?」
當下,我說不出話。我是一個安寧醫師,平日宣導預立醫療決定,老實說,我很不喜歡鼻胃管。在10多年的醫師生涯中,不知看過多少病人與家屬因為那條管子,焦慮、掙扎、不安、受苦;如果是自己,老了、失智了、衰弱了,我絕對不想插鼻胃管。
但是,爸沒說過他要不要插。』