その“老い”は、もっと自由でいい

エイジングをもっと「sexy」にしたい。
ジャニスの言葉だ。
高齢化は危機ではなく、機会(opportunity)であると捉え直し、社会保障制度のみならずビジネスの力でこれを豊かな未来にする。
これがエイジングアジアのコンセプト。
今日はそんなエッジな取り組みが集約される「アジア太平洋高齢者ケアアワード」。
高齢者ケア界のオスカーとされるアワード。
僕は今年も審査員として参加、約50組の採点を担当した。
とても大変だけど、優れた事例を学べる貴重な機会。
500万の利用者を抱えるインドのシニア向けスマホアプリから、50人の入居者を丁寧にケアするニュージーランドのCCRCまで、異なる地域・規模・領域から選ばれた数百人のファイナリスト。
1組あたりわずか5分の濃縮プレゼン+3分のQ&A。
どれも面白い取り組みばかり。
審査員もインドネシア保健省の副大臣からNHSの研究開発部長まで多様な顔ぶれ。さまざまな視点からのQ&Aからも気づきがあった。
国や地域を問わず、お年寄りはみんな同じ。
認知症の人の悩みも同じ。
違うのは制度と医療介護経営者のマインドセット。
特に面白いと思った相違点。
①「入院を防ぐ」は世界共通の目標
例えば高齢化に伴う入院の増加は「国家的危機」と表現するオーストラリアでは高齢者の転倒・骨折だけで7000億円の支出。
転倒1回あたりのコストは1798ドル(約29万円)と算出、転倒予防の積極的投資の上限額を示すことでイノベーションを促進する。
何かあれば入院すればいいんじゃない?という日本とはちょっと違う。
シンガポールは急性期ベッドは常に逼迫しているし、入院治療の自己負担が安くない国も多い。余剰病床とその稼働率低下による病院の赤字が問題になっている日本においては、入院を回避しようという強い社会的インセンティブはない。
これは医療経済と患者QOLの両面で最適ではないと思うが。
②個人のスキルに依存せず仕組み化する。
終末期の経過の95%は病院ではなく地域で受け入れているという現状に対し、終末期のプロセスやケアスキルを、オンラインやVRも活用し、家族や地域と共有することでスムースな支援につなげているシンガポール。
高齢者ケアで十分な緩和ケア(がんの疼痛緩和という狭い意味ではなく、認知症や老衰を含む人生の最終段階のホスピスケア)が提供できていないという現状に対し、終末期を可視化+必要なケアを可視化することで標準化を試みるオーストラリア。
「できる専門職」、「できる施設」に依存している日本とはやはり違う。
③高齢者は消費者、高齢者施設は「住みたい住宅」
高齢者はケアされる存在ではなく、一人の個人、そして消費者。
終末期を除けば、積極的に人生を楽しみ、社会に参加する、時間的・経済的に余裕のある存在として認識されている。
高齢者住宅は、ライフスタイルや世帯構成の変化に合わせて積極的に選択するもの。それは単なるダウンサイジングではなく、新しいコミュニティ・活動の場であること、そして健康寿命の延伸(が期待できる科学的アプローチ)が付加価値として提供されているところが多い。
日本では高齢者施設の入居は、家族や介護者の意向で進められる。
施設では安全管理が優先される。マンパワーの限界点も低く、本人の意向が最優先とならないことが一般的だ。
④孤立への関心の高さ
どの国でも高齢化と核家族化が同時進行している。
そして孤立が高齢者のQOLのみならず生命予後にも悪影響を及ぼすことを課題として捉え、その解決をプログラムに組み込もうとしている事業者が、訪問・通所・施設を問わず多かった。
社会課題をより大きなスコープで捉え、それを解決するために、どのようなサービスやプロダクトがありうるか。ピンチはチャンス、という概念はここにも生きている。
日本では在宅死の30~50%が孤独死を含む異状死という切ない状況にあるが、介護系事業者が、孤立という課題に実効的なアプローチができている事例は、一部の地域系NPOを除くとあまりない。
⑤新しいことにどんどんチャレンジ
共有された事例の多くは、ここ1-3年の取り組み。
まずはスタートする、行けそうならどんどん深掘りand/orスケールする。
とにかくスピード感が違う。
でも1年やって、利用者が700人になれば、5年後には1万人を超えるだろうし、10年後には新しいテクノロジーの出現で、もはやビジネスモデル自体も変化しているかもしれない。1~3年というのは、まさに「旬」の時期なのだ。
日本では、とりあえず10年、20年やってみて1人前、みたいな風潮があるが、ケアを「すし職人の技」と同じように考えていたら、これ以上の革新的な成長はあり得ない。
やはり発想を根本から変えていく必要があるのだろう。
AIの実装はどの現場でも進んでいて、プレゼンに使用された資料や動画もAIで作成されたものが増えていた。
⑥プレゼンが上手
自分たちは何者なのか。
どんな課題があるのか。
その課題がいかに社会にとって脅威なのか。
どのような方法でその課題を解決しようとしているのか。
そしてその方法が、いかに革新的なのか。
そしてそれが優れていることをどのように評価したのか。
結果としてクライアントはどう受け止めたのか。
審査員が知りたいと思うことを先回りして説明していく。
スライドは説明を補助する図と写真・動画だけ。
本気で取り組んでいることだからこそ、原稿など必要ない。
おそらく何度も何度も、協力者や出資者に説明し、磨きこまれたストーリーなのだ。
起承転結ではない、最初に結で集中力のくさびを打ち込む。
これも技術ではなく、彼らの習性なのだと思う。
でしゃばることがよしとされない日本。
奥ゆかしく、謙譲語を使ってプレゼンしていたら、大したことないと思われてしまう。
しかし、実際には、日本はけっこうイケている。
日本では当たり前のことでも、サウジアラビアやマレーシアのチームにかかれば「こんなすごいことやってます!」みたいなプレゼンになる。
他の審査員も「へーすごいねー」みたいな反応をしているのを見て、僕は複雑な気持ちになった。
何が当たり前で、何が当たり前でないのか。
とりあえず一生懸命やっている人は、一度、チャレンジしてみてもよいのではないかと思う。
僕も今から10年前、この場所でファイナリストとして審査員の前でドキドキしながら立っていた。
結果として「Best Home Care Operator」と「Best Innovation Implementation」の2部門でグランプリをいただいた。
自分たちのこれまでの取り組みへの自信とともに、世界のすぐれたプレイヤーたちの存在に、いかに自分たちが「井の中の蛙」であったのかということも合わせて思い知らされた。
昨日の投稿にも書いた通り、日本で医療介護の仕事をしていると、保険制度という枠組みの中に発想が固定される。保険の中で何ができるか、という思考バターンが出来上がってしまう。患者の利益より、社会の変化より、目の前の点数によって行動が制限されている。
それは、専門職にとって、経営者にとって、患者・利用者にとって、そして社会や未来にとって適切な状態なのだろうか。
時には、思考をリセットしてみるのもいい。
エイジングアジアはそのための最適な舞台だと思う。


佐々木淳