その人らしい最期のために、私たちにできたことは何だったのか
20年のお付き合いをさせていただいた患者さんが旅立たれた。
最初は障害のある娘さんの保護者として。
次に終末期がんの女性の夫として。
そして脳出血の既往のある心不全患者として。
奥様がお元気なころは、ご夫婦で家内工業をされていた。
慎ましさの中にも豊かさを感じる、そんな日々の暮らしを丁寧に重ねておられた。
いつも穏やかで、ご家族の運命(病気)に対しても、怒りや不満をぶつけられることはない方だったが、仕事や外出の機会が減った最近は、静かに聖書に向き合っておられることも多かった。
ある深夜、冬季オリンピックをご家族でTV観戦中、突然の嘔吐と意識レベルの低下。ご家族から連絡を受けた当院の当直医は頭蓋内病変の可能性を疑い、ただちに救急要請を指示。診療情報のFAXとともに近くの救急病院に搬送された。
しかしそこでは頭部の画像診断は行われなかった。
救急外来で意識レベルが改善したとのことで制吐剤だけが処方され、タクシーで深夜に帰宅されたのだ。
家までなんとか戻れたものの、しかしその後、再び意識レベルが低下。
やはりおかしいとご家族は思ったものの、病院で大丈夫といわれたのにもう一度救急要請して再受診するのも憚られると、朝まで待って当院に再度連絡をくださった。
緊急往診した時点で強い痙攣発作、症候性てんかんを疑い再度救急搬送。昨夜の救急病院は受け入れしていただけず、他の救急病院に向かうも救急車内で心肺停止されてしまった。
いわゆるLucid Intervalだったのではないかと思う。
脳出血で意識を失っても、一時的に会話ができるレベルまで意識がクリアになることがあるのだ。
自分だったら頭部CTくらいは撮ったんじゃないか、翌朝ご家族から報告があった時点で往診ではなく救急搬送をもう一度指示していれば間に合ったんじゃないか、あるいは最初の段階で脳卒中を疑ったのであれば、積極的治療の希望の有無をその時点で改めて確認してから、場合によっては自分たちが往診で対応するという選択はなかったか。
年単位の予後が想定されていた方。
自分たちのありようによっては、もう少し違う経過があったのではないかと思うと、とても苦しい。
今日は娘さんの診察日。
年齢も年齢で、心不全もあったから、と涙を浮かべてご自分を説得するようにお話をされる様子に心が痛んだ。
最初の救急搬送で診断がついていれば治療や救命ができたのか、といわれるとそれは厳しかったかもしれない。救急搬送を受け入れていただけただけでも感謝しなければならないのかもしれない。でも、検査さえしてくれていれば、そして本人も意識レベルが一時的にでも回復していたのであれば、少なくともその時点で「選択」はできたはずだ。であれば、たとえ同じ結果になっていたとしても、ご本人とご家族にとって少しは納得の余地があったのではないか。
何の情報も、そして選択の機会を与えられることなく帰宅、そして二回目の急変、そして突然の旅立ち。
ただ時間が経過し、その時が来るのを待つことしかできなかった。
それを横で見守ることしかできなかったご家族の心痛はいかほどか。
寛大なご本人は許してくれるかもしれない。
だけど、残念だったね、で終わらせてはいけないとも思う。
私たち自身の責任も含めて。
高齢者に対する入院時DNARの条件化、救急車の有料化の検討、入院適応外患者への選定療養費・・在宅高齢者にとって救急医療のハードルは高くなる一方だ。
しかし、救急医療の存在意義は救命だけではないとも思う。診断がつくことで、そこから先の病状経過が見通せる。その材料があれば、積極的治療を開始しない、という選択をする人もいていいと思う。
しかし判断の材料も、そして判断の機会も与えられることなく、ただ対症療法だけで帰される。まさにいま「救命治療の中止・差し控えに関するガイドライン」がまさにパブリックコメントの募集中だが、在宅高齢者においては、そのプロセスの手前で弾かれてしまう人もおられるのだ。
誰が悪い、という話ではないのかもしれない。
しかしご本人とご家族にとって最善の経過でなかったことは確かだ。
救命医療と終末期医療、この2つは時に連続する。
だからこそ、病院と在宅で、もう少し血の通った連携をする必要があるのだと思う。
佐々木淳
