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世界最高水準の医療があっても、誰もが受けられるとは限らない

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これはインドの公立病院だと思う。
僕も初めてムンバイを訪問した時、公立病院を見学させてもらって、その状況に少しショックを受けた。
廊下まで患者や家族であふれ、多くの人が床に横たわっている。犬や鳥が出入りする。これを見て「インドの医療はまだまだ遅れている」と感じる人もいるかもしれない。

https://www.facebook.com/share/r/1H7qSsHEND/?mibextid=wwXIfr

しかし、インドは決して「医療レベルの低い国」ではない。
インドでは年間約2万件の臓器移植が行われている。米中に次いで世界第3の実績だ。がん医療でも、IMRTなどの高精度放射線治療だけでなく陽子線治療も行われている。さらにCAR-T細胞療法を自国で開発し、実用化するところまで来ている。
心臓外科、脳神経外科、ロボット手術、骨髄移植などを高いレベルで提供する大規模民間病院も多数存在する。
この映像が示しているのは医療レベルの低さではない。
高度医療を提供する能力があるにもかかわらず、それにアクセスできない人がたくさんいる、ということだ。
インドには世界最高水準の医療を提供できる病院が多数存在する一方で、それを利用するための経済的ハードルは高いのだ。
インドでは、公的な医療保障は、実は近年急速に拡大している。かつてインドの公的医療保険のカバレジは非常に低かったが、2018年に始まったPM-JAYは、低所得者などを対象に年間50万ルピーまでの入院医療を保障する。

現在、世界最大級の公的医療保障制度となっている。
しかし現状、医療費の4割以上が自己負担になる。特に私立病院への入院は高額だ。病気になった世帯にとって、この負担は非常に重い。医療費による家計の破綻も深刻な問題になっている。

一方、公立病院の患者負担は極めて小さい。その結果、経済的に余裕のない人たちの需要は公的医療機関に集中する。
インドでは、所得によって病気になったときに選択できる医療が大きく異なるのだ。
低所得層にとって重要なセーフティネットとなっているのが動画にある公立医療だ。
その患者負担は非常に低い。
外来患者の約半数は自己負担がゼロ。入院した場合の自己負担額も中央値で1,100ルピー、日本円で1800円程度。
公立病院は低所得者にとって極めて重要な存在だ。
しかし、当然ながら低価格で提供できる医療資源には限界がある。限られた公立病院に膨大な患者が集中すれば、待ち時間や混雑、病床や医療従事者の不足という別の形でアクセスの制約が生じる。

一方、お金を払うことができれば選択肢は大きく広がる。
インドには世界水準の民間病院が多数存在し、心臓手術、がん治療、臓器移植、ロボット手術、陽子線治療、CAR-T細胞療法まで受けることができる。しかし、その価格は公立医療とは全く異なる。
2025年の全国調査では、一回の入院に伴う自己負担額は、公立病院では平均6,631ルピー(約1万円)だったのに対し、私立病院では50,508ルピー。約7.6倍の差があった。中央値でも公立1,100ルピーに対し、私立24,000ルピー。
インドでは世帯所得が高ければ、設備やアメニティの整った私立病院、専門医、高度医療などを比較的自由に選択できる。

一方、所得が低くなるほど、無料または低額で受けられる公立医療や政府保障制度に依存せざるを得なくなる。
同じ2万ルピーでも富裕世帯と貧困世帯ではその意味は全く違う。
所得に余裕がある世帯にとっては吸収できる医療費でも、低所得世帯では食費や住居費、教育費を圧迫し、借金や資産売却につながり、家計そのものを貧困状態に転落させる。つまり破綻的医療費支出状態だ。
実際、インドの全国調査を用いた研究では、入院による破綻的医療費支出は明確に低所得層へ偏っており、最貧困層、無保険者、そして私立病院を利用した世帯ほどリスクが高いことが示されている。
低所得層には無料・低額の公立医療と政府保障制度というセーフティネットがある。しかし、選択できる医療機関や医療資源には制約があり、大きな病気になれば家計に対して極めて重い医療費が発生する。
中間層は、公立医療だけでなく民間医療も選択できる。しかし十分な保険がなければ、高額な入院やがん、心血管疾患などによって家計が大きな打撃を受ける。
そして富裕層は、民間医療保険や自己資金によって、大都市に存在する世界水準の民間病院や高度医療にアクセスできる。
日本のように所得によらず必要な医療を支払い可能な範囲内で受けられることが当たり前だと、こういう状況に違和感があるかもしれない。

しかし、ユニバーサルヘルスカバレジ、機能する国民皆保険という恵まれた仕組みをもつ国は実は世界では少数派だ。
高度医療を提供するケイパビリティを持ちつつ、衛生的に見えない病院の廊下に患者があふれるインド。
日本の将来がこうならなければ良いのだが。
日本では現在、急速な高齢化と現役世代の負担増を背景に、医療制度改革が進められている。
社会保険料負担をこれ以上増やせないという議論には十分な合理性がある。医療にも低価値な医療、過剰な受診、重複投薬、非効率な病床配置など、見直すべき部分は少なくない。
医療費を効率化すること自体には反対する理由はない。
しかし、たぶん多くの人は勘違いしている。
社会保険料を下げることと、国民の医療費負担を減らすことは同じではない。
医療に必要なお金そのものが消えるわけではないからだ。
公的保険から外せば、その費用は患者の自己負担になる。あるいは民間医療保険でカバーすることになる。
つまり、社会全体で負担していた医療費を、「病気になった個人」が負担する医療費へ移しているだけ、ということも起こり得る。
日本の国民皆保険の価値は、「医療費が安い」ということではない。その人の支払い能力と、必要な医療へのアクセスをできるだけ切り離してきたことにあると思う。
普通の所得の人ががんになっても、手術や放射線治療、非常に高額な薬物治療を受けることができる。
大きな病気になって数百万円、数千万円の医療が必要になっても、高額療養費制度によって家計破綻を防ぐ仕組みがある。
これは、私たちがあまりにも当たり前だと思っている、日本の社会保障の非常に重要な機能である。
もちろん、この仕組みをそのまま維持すればよいという話でもない。
高齢化がさらに進む日本で、あらゆる医療を無制限に社会保障で提供し続けることは持続可能ではない。
だからこそ必要なのは、「公的医療費をいくら削ったか」だけを改革の成果にしないことだと思う。
低価値な医療を削る。

病院でなくても提供できる医療は地域や在宅へ移す。
疾病予防や重症化予防に投資する。
デジタル技術やタスクシフトによって生産性を上げる。
一方で、重大な疾病や本人には予測できない医療ニーズについては、所得によって必要な医療へのアクセスが左右されないようfinancial protectionを守る。
つまり効率化と再分配を混同しないこと、これが非常に重要なのではないかと思う。
インドを見れば分かる通り、世界最高水準の医療技術が存在することと、国民が必要なときにその医療を受けられることは、別の問題。その二つは社会保障があって初めて接続される。
日本では社会保障費の負担に対する抵抗感は強くなっている。
それ自体は当然だと思う。限られた財源の中で、医療制度もより効率的にならなければならない。

しかし、その議論の中で忘れてはいけないのは、私たちは何のために社会保障費を負担しているのか、ということだ。
医療制度改革の目的は、単に医療費や社会保険料を減らすことではないはずだ。限られた資源を効率的に使いながら、病気になった人が経済的に破綻せず、必要な医療にアクセスできる社会を維持すること。
そのために、どこまでを社会全体で支え、どこからを個人に委ねるのか。
インドの病院の映像は、一見すると遠い国の医療問題に見える。
しかし、そこに映っているのは医療技術の問題ではない。高度な医療を「誰にどのように届けるのか」という社会の選択の問題だ。
そしてそれは、まさにこれからの日本が向き合わなければならない問いでもある。

佐々木淳

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