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「転ばない人生」と「生きるに値する人生」

あなたは、とても有名な認知症ケア施設を見学しに来た。
施設に入ってすぐ、美しい庭園の前で足を止め、自然の景色を眺めている。
すると突然、高齢の入居者があなたの横を通り過ぎた。花壇と歩道には少し段差があり、その人は足を取られて転んでしまった。
周囲を見回してもスタッフはいない。あなたは慌ててその高齢者を起こす。
その人はズボンについた埃を払い、礼を言って、そのまま歩いていった。

2時間後。
施設の説明を聞き、ひと通り見学を終えたあなたは、再びその庭へ戻ってきた。
今度は、少しふくよかな高齢女性が歩いてきた。

そしてまた、同じ花壇と歩道の段差で足を取られ、転倒した。
今度は体格が大きく、あなた一人では起こせない。
幸い、スタッフが気づき、すぐに駆けつけて助けてくれた。

ここまで読んで、この施設のケアの質をどう評価するだろうか。
もし台湾の基準で評価したら、何点になるだろう。
「優良施設」と評価されるだろうか。
これは、私が実際に目の前で見た出来事だ。

オランダ・アムステルダム郊外にある、世界的に有名なHogeweyk認知症村。
正直に言えば、同じことが台湾の施設で起こったら大変なことになるだろう。
2時間以内に、同じ場所で2回の転倒。
インシデント報告を書き、検討会を開き、根本原因分析を行う。施設評価の際には減点されるかもしれない。

私たちがまず考えるのは、おそらくこういうことだ。
「この段差をなくした方がいいのではないか」
「手すりを設置すべきではないか」
「ここにスタッフを一人配置すべきではないか」
あるいは、
「この女性は車椅子にした方がいいのではないか」
もっと言えば、
「そもそも外に出さない方がいいのではないか」

ところが、その日の午後、私たちに講義をしてくれたHogeweykの創設者の一人、Eloy van Halは、こうした出来事にはまるで慣れているかのようだった。
彼は一枚のスライドを映した。
左側には4枚の写真があった。
黄色い「SAFETY FIRST」の警告看板。
黒い身体拘束ベルト。
ドアに貼られた「HIGH ELOPEMENT RISK 必ずドアを閉め、施錠してください」という表示。
そして、机の上に散乱した注射器と薬。
彼がプレゼンターを一度押すと、大きな赤いバツ印が現れ、4枚すべてを否定した。

右側には別の写真が並んでいた。
「Risk & Reward」と書かれた緑色の道路標識。
花が咲き乱れる小道を歩く二人の高齢者。
そして、顔を上げ、誰かに髪を整えてもらっているおばあさん。
そのスライドを見て、私は別の一人のおばあさんのことを思い出した。

私は在宅医療に携わっているため、施設に暮らす在宅緩和ケアの患者を診に行くことがよくある。
多くの施設は、よく似た光景をしている。
高齢者が車椅子に座り、一列に並んでテレビを見ている。
経鼻胃管の入った認知症患者が一列に並び、順番に食事を注入されるのを待っている。
認知症があり寝たきりの入居者が、転倒やチューブ抜去を防ぐため、両手両足を拘束されている。

ある時、脳卒中後の認知症がある一人のおばあさんを診に行った。
その頃、彼女はだんだん食べられなくなり、頻繁にむせるようになっていた。誤嚥性肺炎も一度起こし、家族はまず栄養を補うために経鼻胃管を入れることを決めていた。
私が訪ねた時、彼女は意識がやや混濁していてチューブを抜こうとするため、両手には緑色の卓球ボール型ミトンが装着され、それぞれベッド柵に固定されていた。
私は尋ねた。
「大丈夫ですか?」
すると、おばあさんは泣き始めた。
ずっと泣いていた。
「つらいですか?」
そう聞くと、泣きながら途切れ途切れに言った。
「この管、取ってくれない?」
そう言いながら、管に手を伸ばそうとする。
でも、できない。
ミトンが忠実に、その役割を果たしていたからだ。

実はそれ以前に、私は「自立支援」の研修で、2時間ほど実際に身体拘束を体験したことがある。
目隠しをし、両脚を透明テープで巻かれ、両手には卓球ボール型のミトンをはめられ、ベッド柵に縛られた。
最初の10分は「夕飯、何を食べようかな」などと考えていた。
30分を過ぎる頃から、手足が痺れ始めた。
40分後には、喉の渇きが異常なほど強く感じられた。
普段なら2時間水を飲まなくても何ともないのに、その時はたまらなく苦しかった。
その後、講師はラジオを大音量で流し始めた。
お経。説教。懐メロ。
それを順番に流し、さらに「うっかり」箸を床に落とし、大声で喧嘩を始めた。
誰かが私の首筋に水滴を落とした。
水がゆっくり流れていく。猛烈に痒い。でも掻けない。
その2時間、私の頭にあったのはただ一つだった。
生きている方がつらい。
だから、そのおばあさんがはめていた緑色のミトンを見た時、私が体験したものとまったく同じ形をしていることに気づいた。
色が違うだけだった。
彼女が今、どれほど苦しいのか、私はよく分かっていた。
しかし私は、「おばあさん、このミトンを外しましょうか」とは言えなかった。
彼女は、私が主に担当している患者ではなかったからだ。
私にできたのは、施設の看護師と相談し、家族に説明し、その場を離れて次の患者のところへ向かうことだった。

車を運転しながら、ずっと考えていた。
学校では、化学的拘束について学んだ。
身体的拘束についても学んだ。
患者を拘束するためのさまざまな方法や器具についても学んだ。
でも、どうやってそのミトンを外すのか。
それを教える授業は、一度もなかったように思う。

Hogeweykの前身は、ごく典型的なナーシングホームだった。
それが全面的に改築され、一つの村になった。
27の住居があり、188人が暮らしている。
平均居住期間は約2年。
つまり、ほとんどの人はここで人生の最後を迎える。

Eloyは講演の冒頭でこう言った。
自分たちがやっていることは「ケアの文化そのものを変えること」=Culture change of caringなのだ、と。
最初のスライドには、左側に薬瓶、注射器、絆創膏、救急箱などのアイコンが大量に並んでいた。
右側には一枚の写真。
白髪の高齢女性とスタッフが向かい合って座っている。
テーブルにはクロスが敷かれ、一輪挿しの花があり、二人は一緒にインゲン豆の筋を取っている。
中央には矢印があり、こう書かれていた。
The social-relational model replaces the medical model.
「医学モデルを、社会的・関係的モデルに置き換える。」
さらに写真の下にはこう書かれていた。
Focus is on possibilities, not on disabilities.
「失ったものを見るのではなく、まだできることを見る。」

では、それをどう実現するのか。
彼らは「生活の質」を7本の柱に分けている。
適切な環境、ライフスタイル、健康、生活の楽しみと人生の意味、フォーマル・インフォーマルな人間関係のネットワーク、組織、社会参加。
こう書くと少し学術的に聞こえる。
しかし、その日の午後の見学は、この7本の柱が実際の生活の中で一本ずつ形になっている様子を見る時間だった。
そして、この文化変革を実現するために、彼らは三つの原則を掲げている。

De-institutionalise=脱施設化
Transform=変革
Normalise=普通の生活に戻すこと

実際に村を歩くと、本当の小さな町にいるような感覚になる。
レストランがある。スーパーがある。劇場がある。さまざまな教室もある。
入居者たちは私たちの周りを自由に行き来している。
家の前で談笑する人。ベンチに座る人。何度も私たちに話しかけてくる人もいる。
講師が、少し離れたところで話している4人を指さして私たちに尋ねた。
「4人のうち、誰が入居者で、誰がスタッフだと思いますか?」

私たちには分からなかった。
全員、とても自然に見えたからだ。
すると彼は言った。
「全員、入居者です。しかも別々の家に住んでいて、今はお互いのところへ遊びに来ているんです。」
村のスタッフは制服を着ない。
おそらく意図的なのだと思う。
制服を着た瞬間、ここはまた「施設」に戻ってしまうからだ。

まず「ライフスタイル」という柱について。
Hogeweykでは入居者の生活スタイルを4タイプに分ける。
都会型の人は、社交的で話好き。フォークソングやビールが好き。
伝統型の人は、伝統を大事にし、手仕事をし、ジャガイモ料理を好み、地域ニュースに関心を持つ。
フォーマル型の人は礼儀や形式を重視し、ワインを飲み、クラシック音楽を聴き、比較的内向的。
コスモポリタン型の人は、芸術や文化について語り、世界各国の料理を好む。
どの家に住むかは、こうした生活スタイルをもとに決める。
家の中の装飾や家具の配置、ソファの色、テーブルの位置まで、それぞれの生活スタイルに合わせて変える。入居者自身に選択肢を持ってもらうためだ。
村にはベーキングクラブや絵画クラブなど、さまざまな活動もある。

この説明をしながら、Eloyは何度も繰り返した。
Choice, choice, choice, choice……
選択。選択。選択。選択‥‥
私はその言葉をノートに書き写しながら、ふと思った。
台湾で高齢者の住まいを決める時、私たちがまず尋ねるのは、
「どんな病気があるのか」
「要介護度はどれくらいか」
「1日に何時間の介助が必要か」
などだ。
しかし、ここで尋ねるのは、
「この人は、これまでどんなふうに暮らしてきたのか」
なのである。

次に「健康」という柱。
Eloyはいくつか数字を示したので、私もノートに書き留めた。
入居後、医師が処方薬を体系的に見直す。
平均すると、薬剤数は8種類から3種類まで減る。
約99%の入居者は病院ではなく、この村の中で亡くなる。
肺炎などの急性感染症が起きた場合にも、反射的に救急車を呼ぶのではない。
チームは事前ケア計画の話し合いに戻り「今回は治療するのか、しないのか」を家族と確認する。
寝たきりの人はわずか2%。
死の直前にベッド上で過ごす期間は、平均4〜5日だという。

私たちが必死にメモを取り、数字について次々質問していると、スタッフの一人が逆に尋ねた。
“Why do you want to measure everything?”
「どうして、何でも測りたがるんですか?」
正直、その瞬間、私のペンは止まった。
少し後ろめたい気持ちにもなった。
私自身、研究をする人間だからだ。
この数年間、私が計算してきたのは、併存疾患の軌跡、ハザード比、回帰係数。
今回オランダで発表した3本の研究も、すべて多重併存疾患に関する研究だった。
頭の中はβ値と信頼区間でいっぱいだった。

ときどき思う。
私たちが測っているものは、本当に最も重要なものなのだろうか。
もちろん、私は尺度や数値が不要だとは思わない。そうした数字がなければ、高齢者の健康格差を見ることもできない。政策判断もできない。それが、この数年間の私自身の仕事でもあり、今もその価値を信じている。

しかし、あの午後、私は確かに立ち止まった。
あのおばあさんの泣き声を思い出したからだ。
あれは、測れない。

講演の後半、組織文化についてのスライドがあった。
その中の一行がオレンジ色で強調されていた。
Living life as usual: front stage
Nursing home care: back stage
「普段通りの生活」は前舞台に。
「ナーシングホームのケア」は舞台裏に。
私はこの比喩がとても好きだ。
専門性を否定しているのではない。
ただ、専門性を本来あるべき位置へ戻している。
舞台の中央ではない。袖にいるのだ。
だからこそ、彼らはリスクについても、あれほど率直に話すことができる。

Eloyは言った。
「認知症の人だって、リスクを冒したい。」
私はノートでこの言葉を丸で囲んだ。
「あなたを尊重しています」と言いながら、すべてのドアを施錠することはできない。
私が最も強い衝撃を受けたのは、講師が何度も繰り返した言葉だった。
自律。自律。自律。
認知症の人。人生の最終段階にいる人。
その人たちの自律は、「安全のため」「健康のため」という理由で、しばしば忘れられ、無視される。
しかし彼らにも、間違える権利がある。
では私たちは、そのリスクをどこまで受け入れられるのか。

冒頭の庭に戻ろう。
2時間以内に同じ場所で2回の転倒。
台湾の評価基準なら、この施設はおそらく高得点を取れない。
けれど、あの日私が村で見たのは、高齢者が自分で家を出ること。自分でスーパーへ行くこと。外に出て日向ぼっこをするかどうかを、自分で決めることだった。
もちろん転倒は良くない。
「転んでも構わない」と言っているわけではない。
ただ、あの段差をなくすかどうかという判断の背後には、もっと根本的な問いがある。
私たちが高齢者に送ってほしい人生は、「転ばない人生」なのか。
それとも、「生きるに値する人生」なのか。

数年前、私は林金立先生と『不被束縛的晚年(束縛されない老後)』という本を書いた。
台湾における自立支援の実践について書いた本だ。
拘束しない。
寝たきりにしない。
おむつに依存させない。
再び自分で食べる。
自分でトイレに行く。
自分で歩く。
その本を書き終えてから、ずっと心に残っていることがある。
台湾では、自立支援というものは、一部の人たちが非常に努力し、苦労して、制度の中になんとか作り出した「一つの選択肢」だった。

しかしHogeweykでは、すべての人が、いつでも、自立支援を実践している。
それは特別なプログラムではない。
別途申請が必要な事業でもない。
ただの日常なのだ。

では、台湾にもそのままHogeweykを一つ造ればよいのか。
講師自身が先にこう言った。
“Group home is not the only solution.”
「グループホームだけが唯一の解決策ではありません。」
そしてもう一つ、台湾にとって特に重要だと思った言葉がある。
“First home, then community.”
「まず家があり、その次に地域がある。」
私たちは長期ケアを考えると、つい最初にハードウェアのことを考える。
建物を建てる。拠点をつくる。補助金を申請する。

けれど、Hogeweykが本当に大切にしているのは、まず一つひとつの住居を家にすることだった。
リビングがある。キッチンがある。洗濯機がある。部屋のドアには鍵をかけない。
そして、固定された二人のケアスタッフが、入居者と一緒に買い物をし、料理をする。
建物は、それを支えるための器にすぎない。
だから、Hogeweykの思想を台湾に持ち帰るということは、必ずしも「認知症村」を一つコピーして建設することではない。
むしろ、一回一回の訪問診療。
一つひとつのケアプラン。
一回一回の家族会議。
そこに立ち戻ることなのだと思う。

村を出る時、天気はとてもよかった。
私はまた、あのおばあさんと、あの緑色のミトンを思い出していた。
あの日、私はミトンを外さなかった。
今でも少し悔しさが残っている。
ただ、よく分かっている。
仮にあの日、ミトンを外せていたとしても、それで終わりではなかった。
ミトンを外したその先には、もっと難しい問いが待っているからだ。
それは「おばあさん、今日はどうやって過ごしたいですか?」という問いだ。
簡単には答えられない。
時間も必要だ。
少しの勇気も必要だ。
でも私は思う。
これは、私たちがいつか必ず、問いかけられるようにならなければならない言葉なのだと。
目の前にいるその人への好奇心。
そして、その人自身に、日々の暮らしを返すという意思。
あなたと私がケアする高齢者が、最後まで、ちゃんと生きられますように。
(筆者:老年医学・緩和ケア専門医)


朱先生のポスト。
一人でも多くの日本の人にも届けたくて(Facebookの翻訳機能が微妙)その意訳文を転載した。
実はこの施設、僕も見学に行ったことがある。
僕の第一印象は、実はあまりよくなかった。認知症の人が「大きな仮想空間」の中に隔離され、ファンタジーの世界で生かされている、そんな感じがした。
しかし、高齢者の多くは半径500m程度の範囲の中で暮らしている。みんなで域外に出かけることもできるし、家族とともに街に食事にいくこともできる。そこは実はあまり重要なポイントではなかったのかもしれない。
もっと大切なのは、ケアのコンセプトだ。
僕の友人たちは、街の中で、高齢者や認知症の人が最後まで自分の選択した人生を生き切れるよう、バックステージからそっと支えるようなケアをしている。
しかし、残念ながら、まだそのような多数派ではない。
玄関ドアにカギをかけずに出かけてしまったらどうするんですか?転んでけがをしたらどうするんですか?ちゃんと薬を飲ませずに病状悪化したらどうするんですか?
結局、多くの高齢者は半径500mどころか6畳一間に閉じ込められ、外出といえば食堂かデイサービス。その判断基準は、本人の人生の優先順位よりも、支援者の安心感(+家族から訴訟されないこと)。誰のための、何のための「ケア」なのか。文字通り、本末転倒な現場がまだまだ多いのではないか。

日本では経鼻胃管は少なくなったし、在宅や施設でミトンをはめることは原則としてご法度だ。しかし、チューブを抜きたいという高齢者に対して、どうやってチューブを抜くか、ということの前に、ミトンや拘束衣がなぜ使えないのか、と考えてしまう専門職も少なくないのではないか。
日本は台湾よりも、制度やルール整備の面では少し進んでいるかもしれない。
でも、そこに「魂」はあるか。
一度、立ち止まって考えてみたい。

佐々木淳

朱為民 氏 Facebookより

想像一個場景:你去參觀一個很有名的失智照顧機構,剛進去,在一個很漂亮的花園前停下,欣賞自然的美麗。突然,一個高齡的住民從你旁邊經過,因為花圃和走道有一個高低差,他沒踩穩,跌倒了。你轉頭四顧,身旁沒有工作人員,趕緊把長者扶起來。老人家拍拍褲子,跟你道謝後,走了。

過了二小時,你聽完機構的簡報,在四處參觀機構之後,你又回到那個花園。這一次,遇到一位高齡奶奶走了過來,胖胖的。因為花圃和走道有一個高低差,她沒踩穩,又跌倒了。這一次,你無法把她扶起來,因為她太大隻。還好工作人員有看到,迅速地過來幫忙。

看到這裡,你覺得這間機構的照護品質如何?如果用台灣的標準來檢視,它會得幾分?會得優良嗎?

這是我親眼看到的事。這一間機構,就是在荷蘭阿姆斯特丹近郊,世界知名的 Hogeweyk 失智村。

老實說,如果同樣的事情發生在台灣的機構,二個小時內同一個地方跌倒二次,大概就是一件不得了的事了。要填異常事件通報、要開檢討會、要做根本原因分析,評鑑的時候可能還會被扣分。我們的第一個反應通常是:那個高低差要不要填平?要不要加裝扶手?要不要在旁邊派一個人站著?再不然,那位奶奶是不是坐輪椅就好,或者,乾脆不要出來?

但是那天下午替我們上課的講者 Eloy van Hal,是 Hogeweyk 的創辦人之一,彷彿對這件事習以為常。他放了一張投影片,畫面左邊是四張圖:黃色的「SAFETY FIRST」警示牌、一條黑色的約束帶、一張貼在門上的告示寫著「HIGH ELOPEMENT RISK,請確認門已關好上鎖」,還有散落一桌的針筒和藥錠。然後他按了一下簡報筆,一個大大的紅色叉叉,把這四張圖全部打掉。

右邊換上另外幾張照片:一塊寫著「Risk & Reward」的綠色路牌、兩位長輩在開滿花的走道上散步、一位阿嬤仰著頭,讓人替她整理頭髮。

那張投影片,讓我想起另一個阿嬤。

因為從事在宅醫療,我常常去機構看安寧居家的病人。很多機構,都長得很像:

長者坐著輪椅,排成一排,對著電視看。

裝著鼻胃管的失智病人,排成一排,輪流等著被餵食。

失智臥床的住民,雙手雙腳被綁著,因為怕跌倒、怕拔管。

有一次,我去看一個中風失智的阿嬤。那陣子她愈來愈吃不下,常常嗆咳,還得過一次吸入性肺炎,家人決定放鼻胃管先補充營養。我去的時候,她因為意識不太清楚會去拔管子,雙手戴著綠色的乒乓球手套,分別綁在二邊的床欄上。

我問她:「還好嗎?」

阿嬤就開始哭。一直哭。

「很難受喔?」我說。

她邊哭邊說,斷斷續續的:「把管子拿掉,好不好?」說著就伸手要去摸管子,但是她做不到,手套忠實地發揮著它的作用。

其實在那之前,我參加過一場自立支援研習營,被約束了二個小時。眼罩戴上,雙腳用透明膠帶纏住,雙手戴上乒乓球手套,綁在床欄上。

前十分鐘我還在想晚餐要吃什麼。半小時後,手腳開始發麻。四十分鐘後,口渴的感覺整個被放大,明明平常二個小時不喝水也沒什麼,那時卻難受得不得了。

後來老師把收音機開得很大聲,佛經、佈道、老歌輪流播放,還「不小心」把筷子掉在地上,很大聲地吵架。有人把水滴在我脖子上,慢慢流下來,好癢,卻抓不到。

那二個小時裡,我腦中只剩下四個字:生不如死。

所以我看著阿嬤那雙綠色的手套,跟我戴過的那雙長得一模一樣,只是顏色不同。我很清楚她現在有多難受。

但是我沒有辦法跟她說:「阿嬤,我們把手套拿掉好不好?」

因為那不是我主責的病人。

我能做的,是跟機構的護理人員討論、跟家屬說明,然後離開,去下一個個案。開車離開的路上我一直在想,我們在學校學過化學性約束,也學過物理性約束,學過各式各樣把病人綁起來的方法和道具,但是好像從來沒有一門課,教我們怎麼把手套脫掉。

Hogeweyk 的前身,是一所很典型的護理之家,後來整個被改造成一座村落,二十七戶住宅,住著一百八十八位住民,平均每個人在這裡生活二年。也就是說,大部分的人是在這裡走完最後一段路的。

Eloy 一開場就說,他們做的事情,是一場照顧的文化改變(Culture change of caring)。

他放的第一張投影片,左邊是一大堆藥罐、針筒、OK繃、急救箱的圖示,右邊則是一張照片,一位白髮的老太太和一位工作人員面對面坐著,桌上鋪著桌巾,插著一瓶花,兩個人一起剝四季豆。中間一個箭頭,投影片上寫著:The social-relational model replaces the medical model.

用社會關係的模式,取代醫療的模式。照片底下還有一句話:

Focus is on possibilities, not on disabilities.

我們不看她失去了什麼,我們看她還能做什麼。

那麼,這句話要怎麼落實?他們把「生活品質」拆成七根支柱:

1. 合宜的環境

2. 生活風格

3. 健康

4. 生活的樂趣與生命的意義

5. 正式與非正式的人際網絡

6. 組織

7. 社會參與

乍聽之下有點學術,但那天下午的參訪,其實就是看著這七根柱子一根一根長出來的樣子。

而要把這場文化改變做出來,他們歸納成三個原則:

De-institutionalise(去機構化)

Transform(轉型)

Normalise(正常化)

實際到村裡走走,就好像是在一個真正的小村莊裡面:有餐廳、有超市、有劇院、有各式各樣的教室。住民們就在我們四處走動,有的聚在房子前聊天,有的坐在長椅上,有的會一直想來跟我們攀談……..

講者指著遠方聚集正在聊天的四個人,問我們:你們覺得,那四個人中,誰是住民?誰是工作人員?

我們分不出來,大家看起來都好自然。他說:「他們都是住民,而且住在不同的家,在串門子。」

村子裡的工作人員不穿制服,我想這是他們刻意經營的效果,因為制服一穿上,這裡就又變回一間機構了。

先說生活風格這一根。他們把住民分成四種:都會型的人開朗、愛講話、喜歡民謠和啤酒;傳統型的人重視傳統、做手工、愛吃馬鈴薯、關心地方新聞;正式型的人講究禮節、喝紅酒、聽古典樂,個性偏內向;世界主義型的人談藝術、談文化、喜歡各國料理。住進哪一戶,看的就是這個。

每一戶裡的裝飾和擺設,沙發的顏色、桌子的位置……會依照不同生活風格調整,讓住民有選擇。村裡還有烘焙社、繪畫社,各式各樣的社團。講到這裡,Eloy 連說了好幾次:

Choice, choice, choice, choice……

選擇,選擇,選擇,選擇……

我在筆記本上抄這一段的時候忽然想到,在台灣,我們替長輩安排住處,問的通常是他有什麼病、幾級失能、一天需要幾個小時的照顧。

在這裡,他們問的是,他以前是怎麼過日子的。

至於健康那一根柱子,Eloy 給了幾個數字,我也抄了下來。

住民入住之後,醫師會系統性地重新檢視處方,平均用藥從八種減到三種。大約九成九的住民在村子裡離世,而不是送到醫院。遇到肺炎這一類的急性感染,團隊會回到預立醫療照護諮商的討論桌上,跟家屬確認這一次要治療還是不治療,而不是反射性地叫救護車。臥床的比例只有百分之二,臨終前平均躺四到五天。

當我們一群人拼命抄筆記、拼命追問數字的時候,一位工作人員反問了一句:

「Why do you want to measure everything?」

老實說,我的筆停了下來,而且有點心虛。我自己就是做研究的人,這幾年算的都是共病的軌跡、風險比和迴歸係數,這趟來荷蘭,我發表的三篇研究也全都跟多重共病有關,滿腦子都是 β 值和信賴區間。

有時候我也不確定,我們量的那些東西,真的是最重要的東西嗎?

我當然不覺得量表沒有用。沒有那些數字,我們根本看不見高齡健康的不平等,也做不出任何決策,這是我這幾年的工作,我還是相信它。但是那天下午我確實愣在那裡,因為我想起阿嬤的哭聲,那是量不出來的。

演講後段有一張講組織文化的投影片,其中一行被標成橘色:Living life as usual: front stage — Nursing home care: back stage。住民過的是如常的生活,那是前台;護理之家的照顧,退到後台。

我很喜歡這個比喻,因為它並沒有否定專業,只是把專業放回它該在的位置,不在舞台中央,而在側幕。

也因此,他們談風險的方式才會那麼直接。Eloy 說:「失智的人,一樣想要冒險。」

我在筆記本上把這句話圈起來。你不可能一邊說我尊重你,一邊把所有的門都鎖起來。

我印象最深刻的是,講者不斷提到:自主!自主!讓我很受震撼,失智病人、末期病人的自主,因為安全、因為健康,常常被遺忘,被忽視。但是,他們也有權利犯錯。而我們可以容許到什麼程度?

回到文章開頭的那個花園。二個小時內跌倒二次,如果照台灣的標準,這間機構大概拿不到什麼好分數。但是那天我在村子裡看到的,是長輩自己走出家門、自己去超市、自己決定要不要出來曬太陽。跌倒當然不好,我也不是說跌倒沒關係。只是那個高低差要不要填掉,背後其實是一個更根本的選擇:我們希望長輩過的,是一種不會跌倒的生活,還是一種值得過的生活。

幾年前,我和林金立老師合寫過一本書,叫做《不被束縛的晚年》,談的就是自立支援在台灣的實踐過程。不約束、不臥床、不包尿布,讓長輩重新自己吃飯、自己上廁所、自己走路。那本書寫完以後,我心裡一直記得一件事:在台灣,自立支援是一群人很努力、很辛苦,才在體制裡撐出來的一個選項。

而在 Hogeweyk,他們所有的人,時時刻刻,都在實踐自立支援。那不是一個方案,也不是一個要另外申請的計畫,那就是這裡的日常。

那,我們可以直接蓋一座 Hogeweyk 嗎?

講者自己先說了:「Group home is not the only solution.」團體家屋並不是唯一的解答。他還說了另一句,我覺得對台灣特別重要:「First home, then community.」先是家,然後才是社區。

我們談長照,常常先想到硬體,蓋一棟樓、設一個據點、爭取一筆補助。但 Hogeweyk 真正在做的,是先確定每一戶都是一個家:有客廳、有廚房、有洗衣機、房門不上鎖,二位固定的照顧者陪著住民採買和煮飯。硬體只是把這件事撐起來的殼而已。

所以把 Hogeweyk 帶回台灣,未必是複製一座村落,而是回到每一次的居家訪視、每一份照護計畫、每一場家庭會議。

離開村子的時候,天氣很好,我又想起那位阿嬤,還有那雙綠色的手套。

那天我沒有把手套拿掉。這件事我想起來還是有點不甘心,但我也很清楚,就算那天手套拿掉了,事情也還沒有結束。因為手套鬆開之後,還有一個更難的問題在等著我們。

那個問題是:阿嬤,那今天你想怎麼過呢?

這個問題不好回答,需要時間,也需要一點勇氣。但我想,那是一句我們遲早都要學會問的話,是一種對眼前這個人的好奇,也是一份,把日子還給他的心意。

希望你我照顧的長輩,都可以好好活到最後。

(作者為老年醫學、安寧緩和專科醫師)

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