制度に最適化するのではなく、“人生”に最適化するケアへ
ムンバイでの在宅ケアの投稿に対して、いろいろとご意見を頂戴して、とても勉強になります。特に亀山先生のNOTEは必読です。
https://note.com/dr_rainbow/n/n52f1db7fa631?sub_rt=share_pb
亀山先生は大変リスペクトしていますし、先生の日本のポイントケアでできることは十分にあるという点については在宅医療を20年やってきた僕としても強く頷くところです。
しかし「やれることがある」、「自分たちは頑張っている」というのと、実際に制度あるいは事業運営者として「やれている」のか、というのは別の問題だとも思います。
独居でも、家族介護力が弱くても、ポイントケア(短時間の訪問看護・訪問介護、デイサービス、ショートステイなど)をうまく組み合わせれば安心できる生活を最後まで支えることができる?
答えは「No」だと思います。
確かに独居でも最期まで自宅で過ごせる人がいる。
老々介護でもなんとかやれている人がいる。
それは確かにその通りだと思います。
しかし日本では要介護4以上になると、過半数が自宅での生活を継続できていません。要介護3でも45%、要介護2でも30%以上が施設で暮らしている。
これは何を意味しているのでしょうか。
本当に自宅で安心して暮らし続けることができるなら、要介護2程度の(我々から見れば)軽度介護依存の高齢者の3人に1人が、なぜわざわざ高いホテルコストを払ってまで施設(≒アテンディングケア)に転居する必要があるのでしょうか。
日本の在宅ケアの提供体制、すなわち医療保険と介護保険の組み合わせ「だけ」で自宅で看ていくことも、亀山先生がおっしゃる通り、確かに不可能ではありません。しかし実際には難しい。在宅医の一人としては悔しいけれど、これは事実です。
特に無視できないのは家族の負担です。
日本の介護保険制度は、点数とメニューと現場の運用実態を見ればわかる通り、あくまで家族介護の補助としての位置づけです。家族だけに担わせない、だけど、家族の完全な替わりにはならない。
結果として、家族には物理的な負担(時間を確保しなければならない)とそれに伴う社会的負担(仕事や社会活動に対する制約と、それに伴う収入減少や未来の可能性の放棄など)、肉体的な負担(生活援助のみならず身体介護をしなければならない)、精神的負担(夜中の急変の可能性など緊張感が解けない)、そして心理的負担(介護に対する義務感と責任感、それから逃れたいという気持ちの葛藤など)が生じます。
たとえ信頼できる主治医や訪問看護師から「このまま看てれば大丈夫だから」と言われても、「24時間看続ける」ことの負担は当事者にしかわからない。離れて暮らす家族の不安も大きい。だからこそアテンディングケアが期待できる(と思われている)施設が選択されている。
僕も自分の家族が高医療依存・要介護状態になって初めて、当事者・家族としての目線で在宅ケアを再考したとき、それがいかに容易でないことなのか認識できました。
僕がムンバイの在宅ケアの投稿を通じて伝えたかったのは、日本のポイントケアよりも、ムンバイのアテンディングケア(長時間同伴型ケア)のほうが優れている、ということではありません。
インドには制度がないからこそ、利用者・患者のニーズにフレキシブルに応えることができる、その結果がポイントケアではなく、アテンディングケアだった、ということ。
そして、それが家族(世帯)としての生活の自由度を高め、それぞれの生活・人生の持続可能性を高める=尊厳の保持につながっているということ。
そしてケアのコンセプト=自立支援は、保険でも、自費でも基本的には同じ。その人や家族の「真のニーズ」をキャッチし、それに応えることが重要であるということ。
繰り返しますが、ポイントケアよりアテンディングケアのほうがよいと言うつもりはありません。
だけど、ポイントケアで支え切れていないからこそ、多くの高齢者が(その家族が)施設入居(アテンディングケアもどき)を選択している。この現実を無視して、ポイントケアで十分というような論調には少し違和感もあります。
制度内で在宅ケアを提供する側としては、在宅でのアテンディングケアの組み合わせは頭に浮かばないかもしれない。でも「施設に入居する」という選択には、よほど自己負担の少ない古い多床室特養でもない限り相当額の自己負担が発生します。
東京都内で特定施設・サ高住に入ろうと思えば、月30万円程度、その周辺首都圏でも20万円くらいは少なくとも必要になる。これでも自宅よりも生活面のレベルダウンを強いられることが多い。
もし施設入居のために20万、30万を毎月支払う能力があるなら、このコストを在宅でのアテンディングケアに充てることはできないのだろうか。
30万円で24時間ヘルパーを確保することはもちろんできないけど、介護保険を組み合わせて、家族負担の大きい時間帯をカバーすることぐらいはできるのではないか。あるいは介護保険ではカバーできない本人のニーズを埋めることができるのではないか。そうすれば自宅で最期まで自分らしい生活を継続できる人はもっとたくさんいるのではないか。
インドでの経験を通じて、あるいは、シンガポールや台湾で一般化しているドメスティックヘルパー(住み込み介護者)などの仕組みを見るにつけ、そんなことを思うようになりました。
急性期を自宅で看ることについても、ポイントケアだけでも十分治療できる、というのはもちろんその通りだと僕も思います。医療的にはもちろん十分に対応できる。軽症の肺炎や尿路感染なら、独居でも自宅で治療するのは難しくない。酸素吸入が必要になるようなケースでも、家族介護力が少ない在宅環境でいかに安全に急性期在宅治療を行うか、遠隔モニタリングの活用なども含めて試行錯誤しています。
しかし、これも医療者の「安全に治療できる」と、本人・家族の「安心して治療が受けられる」の定義は必ずしも一致しません。
気管切開で常時吸引を必要とするイクバルさんのような重度介護の事例において(日本でもALSのケースなどが相当すると思いますが)、果たして老々介護や、日中家族が不在の環境下で本当に感染症や心不全などの急性期管理が適切にできるのでしょうか。
あるいは日中独居になるパラシャンティさんが肺炎・心不全になったとき、点滴の治療を自宅で続けることはできるでしょうか。仕事から帰宅した息子さんは、酸素吸入中のお母さんを隣室において安心して眠ることができるでしょうか。
治療はできる。何が起こりうるかを事前に説明し、それぞれにレスキューオーダーを準備しておくこともできる。「ダメなら看取りで」という前提条件もあり得る。それは確かにそうなのだけど、家族が本当に求めているのは、共感ではなく物理的な安心感。離れて暮らす家族の不安を払拭するのも簡単ではありません。
私たちももちろん、日本で在宅での急性期治療を頑張ってやっています。
誤嚥性肺炎と臨床診断したケースの75%は自宅や施設で治療を完結している。それができることはわかっている。だけど、そこには家族の不安や負担が伴います。ダメならそれまで、という覚悟ができているのなら、それはそれ。だけど、そうでない場合には「不安なく過ごせる」というのはちょっと難しい。そういう状況で本人・家族が療養しているのだ、ということも、わたしたちは知っておくべきだと思うのです。
ちなみに台湾やシンガポールの「在宅入院」の現場を見学させていただきましたが、いずれも高齢単独世帯ではドメスティックヘルパーが24時間の見守りと適時報告を担当していました。彼女たちがいないとできないのか、というと、もちろんそうではないと思う。しかし、いるといないとでは、本人・家族の安心感は全く違うはずです。
日本の制度はこうなんだから、この枠の中でケアを組み立てないといけない。
多くの専門職や事業経営者はそう考えていると思います。
しかしその前提にあるのは家族の介護力。そして本人の生活の選択肢の制限です。
高額な自費サービス(施設入居)を選択しても、そこで得られるのは自由ではない、多くの場合には安全管理のための生活制限です。
イクバルさんが日本で暮らしていたら、おそらく緩和ケア病棟からは出られない。あるいはホスピス型住宅に吸引されているかもしれない。在宅でも訪問看護は毎日入れるけど、1日3回の経管栄養と投薬を担うのは誰でしょうか。息子さんは自分の診療活動を継続することができるでしょうか。
パラシャンティさんは、おそらく週に3日、デイサービスで食事とお風呂のお世話をしてもらうのでしょう。インテリジェンスの高い彼女にとって、おりがみや塗り絵をすることが最適な時間の過ごし方なのか、それは彼女に聞いてみなければわかりません。それ以外の日は自宅で日中独居。一人で外出するのは危険です。自宅で穏やかに過ごしてください(寝ててください)ということになるのかもしれません。
病気の人も、高齢者もケアを受けるために生きているわけではない。そして家族もケアをするために生きているわけではない。
その人が選択した生活・人生を生きるために、その人の強み、その人らしさをコアに(残存機能の活用という日本語訳がよく使われますが)ケアという道具を使って生きていく。
これが本来の高齢者福祉のコンセプトであったはず。
日本の健康保険、ユニバーサルヘルスカバレジは本当に素晴らしいと思うし、介護保険を有する5か国の1つに日本が入っていることを誇りに思います。そして、この制度の運用に関わる多くの優れた専門職の方々を心からリスペクトしています。
しかし、制度「だけ」では本人も家族もそれぞれの生活の継続を支えることができないという現状に対しては謙虚に向き合い、そしてよりよいケアの在り方に対して模索を続ける努力は必要なのではないかとも思うのです。
制度に最適化するのではなく、制度を最適化する。
そのためには制度を運用する側から声を上げていく必要があると思います。
世界にはさまざまな取り組みがあります。
ドイツの介護保険制度は、介護する家族や友人に対して介護報酬を支払う。そして労働保険や年金の対象として保護する。これにより仕事が時短になっても生活の質を大きく下げない、あるいは仕事を休んだりしても労働者としての権利を失わない状況を作っています。
これは家族の負担を軽減する1つの具体的な方策なのではないかと思います。日本では「嫁」が介護労働者として固定されるという議論があり、この仕組みの導入は見送られましたが、女性の就労参加率が上がる中、当時とは環境も異なっており、改めて議論してもよいのではないでしょうか。
台湾やシンガポールのように「ドメスティックヘルパー」を制度化する、という選択肢もあってもよいかもしれません。韓国でもChinese Koreanと呼ばれる韓国系中国人がケアのために働く、という仕組みがあります。一定額で住み込みで働いてくれる外国人ヘルパー。台湾では中国語をきちんと話せないフィリピン人やインドネシア人が家族と穏やかに同居し、家族も全幅の信頼を置いている感じがありました。その雇用コストは老人ホームのホテルコストの範囲内。もちろん、外国人労働者としてどう位置付けるのか、という部分は慎重に検討しなければならない。だけど、公的介護サービスでカバーできない領域がこれだけ大きい状況においては、検討の余地はなくはないと思います。
アテンディングケアは、多くの新興国・途上国では比較的一般的なケアの形態です。もちろん自費。だけど、それは払わされているわけではなく、本人・家族が必要に応じて、そして納得してサービスを購入し、そして継続している。
金持ちしかサービスを受けられないではないか、というコメントもいただきましたが、それは実は日本も同じ(アテンディングケアである施設ケアを選択したければ、一部の特養以外はそれなりの経済力が必要)。そして、その議論をする前に、まずはインドはじめ新興国・途上国の現状について理解をしていただく必要があります。
これらの国では、低所得者の多くは多世代の大家族で暮らしている。そもそも社会的ケアの必要度は低い。介護サービスを購入する必要があるのは、比較的高所得で核家族化が進行しているケース。家族として担えないところをヘルスケアサービスとしての介護でカバーする。
日本では介護の担い手が圧倒的に不足しているので、一人の要介護高齢者に一人の介護職を長時間張り付けるのは現実的ではありません。
しかし新興国・途上国では生産年齢人口が(現状)溢れている。日本は2060年までに1200万人の生産年齢人口を失うが、インドは毎年1000万人ずつ!生産年齢人口が増加する。しかし仕事は足りない。大学を卒業しても3割は就職できない。そのような状況において、シニアケアセクターが大きな雇用を生み、高所得世帯から直接的な所得移転を受け取れることはこれらの国々の社会にとっても悪いことではないはずです。もちろん、働く介護職にも選択の権利はある。雇用条件が悪いと思うなら仕事をやめればよいし、優秀な人はより多くを稼ぐことができるようになる。
そして、何より新興国や途上国には「老人ホーム」という選択肢はわずかです。そして医療保険のカバレジも小さく、入院する、入院を継続するという選択も非常に高額になる。
結果として、日本から見れば贅沢に見える在宅でのアテンディングケアがリーズナブルな選択肢になりうるのです。
日本がいい悪い、ではない。
それぞれの国に経済力の違いがあり、人口特性があり、文化・慣習がある。
医療介護はそれぞれの社会の中で、その人とその家族の暮らしを支え続ける。
日本の良さは、日本の良さとして大切にしながら、でも、これが最善の形なのか、少し俯瞰してみる、そんな視点があってもよいのではないかとも思います。
来年の日本在宅医療連合学会は2027年7月10日・11日の二日間。
僕は大会長を拝命しているのですが、実は国際大会「World Home Healthcare Congress2027」を併催させていただくことになりました。学会としても初の試みです。
世界でもっとも高齢化率が高く、医療介護の2つの公的保険による充実したサービス提供体制を確保した日本。果たしてこれは「成功モデル」と言えるのか。
世界で活躍する在宅医療、在宅緩和ケア、在宅入院のキープレイヤーから最先端の取り組みを共有いただくとともに、各国の政策決定者も交えてディスカッションし、最後に「東京宣言」をまとめたいと思っています。
ぜひご参加いただけると嬉しいです。
まだウェブサイトを公開できないのですがぜひぜひフォローしてください。
https://www.jahcm.org/academic_conference.html
この写真は昨日撮影したアラビア海に沈む夕日です。
とても美しかったです。
佐々木淳
