なぜ、医療は生活まで支えきれないのか?
トレーダーのときの収入は、いまよりも圧倒的に多かった。
でも子供も自立したし、いまは余剰な収入よりも、何のために仕事をしているかのほうが重要だ。
日系金融機関で30年勤務したKwanさんは、常に強いストレスとともにあった。
そしてコロナを機に仕事を辞めた。
ちょうどその時、社会的処方に関する新聞記事を目にし、SNSで研修プログラムの存在を知る。3か月の病院実習を含む教育課程を修了、「ウェルビーイング・コーディネータ」(Wellbeing Coordinator:以下WC)として仕事を始めて4年。
かつての金融のプロは、いま400床のコミュニティホスピタルで「生活支援のプロ」として、入院患者のスムースな在宅復帰をしっかりと支えている。
■社会的処方(Social Prescribing)とは何か?
社会的処方という言葉はすでに広く知られる。
しかし、それが医療政策としてどのように社会に実装され、どのような成果を上げているのか、Ageing AsiaとAutram Community Hospitalの見学を通じて具体的に学ぶことができた。
先行する英国では、その発想は地域ではなく、救急医療の現場で生まれた。
救急受診を繰り返す患者、その主たる要因は医学的ニーズではなく社会的ニーズ。健康の社会的決定要因を見据えたアプローチが必要ではないか。
リードしたのは救急医。
実証実験では救急外来受診を24%、GP受診を40%抑制した。
英国の人口あたりベッド数は日本の1/4程度。
日本のように軽症高齢者の社会的入院を受け入れるような余地は全くない。
独居高齢者であっても、なるべく入院せず、自宅でできるだけ長く暮らし続けられること。
それを支える仕組みが必要なのだ。
■シンガポールの社会的処方=“Wellbeing Coordination”
シンガポールのベッド数も英国とほぼ同様。
そして同様の課題を共有している。
Healthier SGというキャンペーンを通じて英国に準じたGP制度を推進するとともに、2019年から社会的処方の実装にも取り組む。
急性期治療を終え、コミュニティホスピタル(老年・回復・緩和など高度急性期以外の機能を持つ)に移動してきた患者を、できるだけ早く地域に帰す。新しい心身の状態に合わせた支援体制を整え、できるだけ早く生活を安定させ、できるだけ再入院を防ぐ。
この病院から地域への橋渡しするのがWCの役割だ。
今回見学させていただいたAutram Community Hospitalはシンガポール総合病院に隣接し、その下り搬送を受け入れる。
ここでは病棟(30床)ごとに1名のWCが配置されている。
患者が入院すると、WCはベッドサイドを訪問し、状態の確認、患者と対話して、それぞれの優先順位を確認、ゴールについてともに考える。
リハビリや活動にも伴走しながら信頼関係を構築し、対話を重ね、ゴールに向けての解像度を高めていく。週に1回は多職種のカンファランスに参加し、それぞれの専門職から見える患者の状態を多角的に把握する。
また、患者の自宅を訪問し、生活環境や周辺の地域資源を確認する。
自宅の環境に応じたリハビリプログラム(院内にはさまざまな生活シーンのシミュレーション環境も整えられている)、本人の望む暮らしを支えるための地域資源の抽出などが行われる。
本人に、地域資源の選択肢について説明する(具体的な推薦を含む)。
ここには公的介護サービス、地域のリハビリセンター(Activity center)、チャリティで運営される施設から地域ボランティア活動、地域住民グループの公園でのアクティビティまで含まれる。
多様な選択肢の中から、本人の退院後の状態に最適な選択をともに考え、退院後の支援計画(敢えてケアプランとは表現されない)を立てる。
主たる支援事業体が決まれば、そこに患者の情報を提供し、引き継ぎを行う(地域側の支援拠点(Post)にもWCやコミュニティナースが配置されている)。
新しい暮らしに適合できるまで、必要な場合は病院側のWCも一定期間のフォローを行う。
■社会的処方=連続した移行期支援
最初は、日本の退院支援のソーシャルワーカーと同じかと思った。
しかし、入院時から退院後に向けての伴走者(Advocate)であるとともに、その関わりは単なる退院支援ではなくACPそのもの。
短い期間に信頼関係を構築し、意思形成支援、意思表出支援、意思実現支援を行う。純粋培養の専門職にはない、Kwanさんのような多様なバックグラウンドがここで生きてくるのかもしれない。
そして、それは単なる退院支援・再入院抑制を目的としたものではない。
新しい心身の状況に応じた、その人にとっての新しいWellbeing をともに探しながら、生活を再構築する。それはCare Planningではなく、文字通りのWellbeing Coordinationなのだ。
社会的処方には、もちろん公的サービスも選択肢に含まれる。しかし、日本のように保険サービスだけですべてをカバーしようとしない。地域コミュニティのさまざまな資源が「処方」の対象となる。
それらの資源は、地域ごとにマッピングされ、常時更新されていく。Googleマップでカフェを探すように選択肢を選ぶことができる。日本にも介護保険サービス以外のディレクトリがあるとよいのかもしれない。
■課題を課題のままにしないために
今年のAgeing Asiaでは英国NHSで社会的処方(Social Prescribing)の取り組みを牽引するBogdan先生と初めてお会いし、その具体的な取り組みを直接じっくりとお聞きすることができた。
彼は5月のPC学会(京都)に来られるそうなので関心のある方は是非! とてもフランクで聞き取りやすい英語を話してくれる方です。
またSing Health / Singapore Community HospitalsのVice President、Lee先生とも再会、新しい病院の見学の機会をいただいた。
止まることなく進化を続けるシンガポールの医療システムの最前線を走り続けるLee先生にはお会いするたびに強い刺激をいただく。そして最初のご縁をつないでくださった佐藤健一先生には心からの感謝を。
日本は課題先進国を自称しながら、5年たっても10年たっても、制度的な課題はそのまま持ち越されているような気がする。
過剰な病床、軽症救急搬送の増加、社会的入院、社会的介護力の不足、介護人材の不足、進まないDx・・・どうして動かないのか、どうして動けないのか、そんな議論をしているうちに少子高齢化はどんどん進み、財源と人材の厳しさは増していく。
一方で日本の現場は健闘している。
今年もたくさんのファイナリストプレゼンテーションやレクチャーを聴いたが、そんなの日本の現場で普通にできてるやん、と感じたものも少なくない。
もちろん「同じ轍を踏む」というプロセスが必要なものもあるかもしれないが、アジア諸国は日本よりもずっと速いスピードで高齢化が進む。現場の経験をもっと外に開いてみてはどうかと思う。それは自分たちの取り組みを言語化・可視化する機会になるし、国際貢献にもなるはずだ。
また「現場の課題解決」から「社会の課題解決」にスコープを上げるのも大切なことだと思う。
Bogdan先生は、最初に社会的処方のアイデアを政府にプレゼンした時、それで医療費が下がることを示せなければ予算はつかないと突き返されたのだという。彼はその後、救急医療抑制のデータをLancetに発表、NHSの戦略の1つに組み込まれた。これは現場が政策を動かした一例だと思う。
■とりあえず一歩踏み出してみる
ちなみに今回の病院見学は、なんとマーチャン(若宮正子さん)も一緒。
広い病院をスタスタと歩き回る体力+英検準一級の英語力。
病院で提供されるリハビリ環境やWCについて、当事者に近い立場からコメントをいただけたことで、さらに学びが深まった。
こういう素敵な出会いもAgeing Asiaならでは。
ぜひ皆さんも来年、シンガポールでお会いしましょう!
専門職、経営者、研究者、政策決定者・・・ここはさまざまな人がフラットに交流できるオープンスペース。
そしてアワードへのエントリーは世界のプレイヤーとの交流チケット。それぞれの地域でのキラリと光る取り組みが、世界からは革新的に見えるかもしれません。
そして少子高齢化という世界共通のトレンドを他の国々やプレイヤーがどう捉えているのか、アジアの中で日本がどのようなポジションとして認識されているのか、自分の肌で感じることで、自分たちの仕事の見え方も変わってくると思います。
Janice、スタッフ、学生インターン、シニアボランティアのみなさん、お疲れ様でした。素晴らしいフェスティバルをありがとうございました。
また来年、このコミュニティの仲間たちとお会いできるのを楽しみにしています。










佐々木淳