安全と尊厳を守るために―身体拘束を「当たり前」にしない医療へ

この身体拘束動画に対し「高齢者はこれでも脱出する」という趣旨のコメントやリプライが多数寄せられている。
https://twitter.com/hinatamaru1215/status/2114875977608355896?s=20
動画自体は病院のものではないようだが、高齢者の身体拘束に対する医療者の認識・反応には強い違和感を覚える。
これが自分の両親や祖父母だったとしても、同じように嘲笑することができるのだろうか。
介護の現場では身体拘束は原則として許されていない。
一方、医療の現場では、身体拘束はまだ一般的だ。特に要介護高齢者は入院時に身体拘束同意書にサインを求められることも少なくない。
入院した要介護高齢者の多くは、入院中に認知症に伴う行動心理症状を悪化させたり、譫妄を起こしたりする。治療を安全に行うために、身体拘束が必要と判断されることがある。時にそれを外したり、大きな声で苦痛を訴えたりする高齢者に対応する必要もある。病棟の看護師さんたちのご苦労は計り知れない。それを内輪で共有して盛り上がっているだけかもしれない。
しかし、自分の意思に反して身体の自由を奪われた人がそこから逃れようとするのは自然な反応だ。考えるべきは「どうすれば拘束から逃げられないようにできるか」ではなく「なぜその人を拘束しなければならないのか」であるはずだ。
身体拘束は、現状、日本中の病院で広く行われている。
しかしそれは本当に、患者の安全を守るために不可欠なのだろうか。
身体拘束は何のために行われているのか。
厚生労働省が2025年に公表した全国調査によれば、病院で身体拘束が行われる理由は、主に「点滴やチューブ類の自己抜去防止」と「転倒・転落防止」の2点だ。
https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/001571792.pdf
集中治療室では自己抜去防止が拘束理由の5割以上を占める。療養病棟でも同様だ。継続的な医療処置が必要な患者が多いからか。一方、地域包括ケア病棟や回復期リハビリテーション病棟では、転倒・転落防止が5割以上を占める。
医療者は患者の安全を守ろうとする。
点滴を抜かれれば治療が中断する。転倒すれば骨折や頭蓋内出血につながるかもしれない。特に認知症やせん妄のある患者では、危険を十分に理解できないこともある。限られた人数で多数の患者をケアする現場では、身体拘束を選択したくなる事情も理解できる。
しかし、認識しておくべき事実がある。
「事故を防ぐために」行われる身体拘束だが、これが事故を防ぐ有効な手段であることは実は示されていない。
2022年に公表されたコクラン・レビューでは、高齢入院患者に対する身体拘束が転倒やチューブの自己抜去を防ぐ効果について明確なエビデンスはないとされる一方、患者に恐怖や怒り、苦痛を生じさせ、身体機能の低下、褥瘡、失禁、拘束そのものによる外傷などにつながる危険性が指摘されている。
https://www.cochranelibrary.com/…/14651858…/full
高齢者にとって、入院中に身体を動かせなくなることは重大な問題だ。筋力や身体機能の低下は退院後の生活にも影響する。「患者の安全を守る」ために行われている身体拘束が、別の形で患者の健康や尊厳を損なっている可能性を私たちは真剣に考える必要があるのではないか。
身体拘束は本当に避けられないのか。
病院によって、身体拘束率には大きな差がある。
厚生労働省が2025年10月の中央社会保険医療協議会に提示した調査では、療養病棟における身体拘束率を、認知症と医療デバイスの有無によって分類し、病棟ごとに比較している。
https://www.wic-net.com/mate…/static/00022250/00022250.pdf
その結果、認知症があり、点滴や経鼻胃管などの医療デバイスを使用している患者について、身体拘束率が0%の病棟が30.7%存在した。一方、同じ患者群に対して、身体拘束率が40%を超える病棟も26.3%あった。
さらに、認知症がなく医療デバイスも使用していないのにも関わらず、20%を超える割合で身体拘束を行っている病棟も19.9%存在した。
「認知症だから」、「自己抜去の危険があるから」、そんな理由で正当化される身体拘束だが、実は認知症があっても自己抜去の危険があっても身体拘束なしでケアが提供できている病院もあるし、認知症がなくても自己抜去の危険がなくても身体拘束する病院があるのだ。
もちろん、認知症や医療デバイスの有無が同じでも、患者の重症度やADL、せん妄、転倒歴などには違いがある。この結果だけで病棟の医療の質まで比較することはできない。また、「抑制」には短時間の抑制やセンサー使用なども含まれている。
しかし追加調査では、常時の手指・四肢・体幹の抑制に限定しても、大きな施設間格差が確認された。療養病棟の38.4%で患者の20%以上に対して常時の身体拘束が行われていた。
身体拘束には、患者の医学的状態だけでなく、医療者の判断、病棟の慣行、ケアの方法、そして組織文化が関わる。同じようなリスクを持つ患者に対しても、身体拘束をすることを前提にケアを組み立てている病棟があれば、身体拘束をしないことを基本にケアを組み立てている病棟もある。
身体拘束が避けられない患者もいるかもしれない。しかし、必ずしも不可避ではない身体拘束が日常的に行われているというのも事実だ。
もう一つ、気になるデータがある。
厚生労働省の調査では、身体拘束を実施した患者のうち、過去7日間のすべての日に拘束が行われていた割合が、回復期リハビリテーション病棟で78.8%、療養病棟では89.3%に達していた。
毎日拘束されていたからといって、24時間連続して拘束されていたとは限らない。しかし、これは身体拘束が一時的な緊急措置ではなく、身体拘束が「当たり前」の日々のケアの一部になっている可能性を示している。
身体拘束は、始めると解除が難しくなる。
点滴を抜かれるかもしれない。転倒するかもしれない。拘束を解除して事故が起きれば、医療者が責任を問われるかもしれない。
こうした不安が重なれば、「念のため拘束しておこう」という判断が生まれやすくなる。そして一度拘束が始まれば、解除するためには新たな判断と責任が必要になる。拘束を続けることより、拘束を外すことのほうが心理的に難しくなる。
これは一度処方した薬を中止するのが難しくなるのとよく似ている。
医療者、そして組織の現状維持バイアス、不作為バイアスだ。
ここには医療安全の考え方そのものに関わる問題がある。
転倒や自己抜去を防ぐことは重要だ。
しかし、患者が自由に動くこと、苦痛なく過ごすこと、生活力を維持できることも、医療が守るべき重要な患者にとっての価値であるはずだ。
事故が起きなければ、それで安全な医療だと言えるのだろうか。
身体拘束による苦痛や身体機能低下が生じても、それは事故として報告されない。
しかし、患者にとっては人生や、中長期的には生命予後をも左右しうる重大な不利益である。
医療安全を、転倒件数や自己抜去件数だけではなく、それを防ぐための措置の「副作用・合併症」についても合わせて評価すべきだ。
そしてそれは昨今頻発している転倒や窒息という一次的事象に対する訴訟の背景にある、社会全体の「安全」に対する認識をかえるためにも重要であるはずだ。
もちろん身体拘束を行う病棟を批判したいわけではない。
現場には現実的な制約がある。病棟も大変なのだ。
看護師の人数、夜間の対応、患者の重症度、医療機器の管理、転倒事故への責任・・・これらの状況を変えずに「拘束するな」と要求しても、医療者に過度な負担と不安を押しつけるだけだ。
身体拘束をしなくても患者の「安全」を守れる医療のあり方を組織として構築することが重要だ。
例えば、点滴やカテーテルは本当に必要なのか、毎日見直す。
患者に不穏な様子があれば、痛み、尿意、便意、不眠、環境の変化、薬剤の影響などを評価する。
転倒を防ぐために、患者を動けなくするのではなく、安全に動ける環境を整える。
どうしても身体拘束を開始せざるを得ないのであれば、何の危険を防ごうとしているのか、他に方法はないのか、いつ解除できるのかを多職種で検討する。そして、解除を検討することを日常ケアの必須のプロセスとする。
これらは特別なことではないはずだ。「質の高い医療」が当然に実施しているはずのものだと思う。
もちろん、そこには人手も時間も必要になる。低拘束率を実現している病棟の具体的な実践を調査し、そのケアプロセスと必要な人員配置等を共有するなどの取り組みも必要かもしれない。加えて、身体拘束率だけでなく、重大な転倒事故、自己抜去による健康被害、せん妄、ADL低下なども併せて評価する必要がある。
日本でも、2024年度の診療報酬改定で身体的拘束最小化チームなどの体制整備が求められ、2026年度には組織的に質の高い取組を行う医療機関への新たな評価が設けられた。
方向性は正しいと思う。
しかしチームを設置し指針を作ることは手段であって目的ではない。実際に患者の拘束を減らし、生活の質や安全性が改善させることが重要であるはずだ。ストラクチャー・プロセス評価に留まらず、アウトカムの継続的な向上のためのフィードバックを回す仕組みであってほしい。
完全に身体拘束を完全にゼロにすることはもちろん容易ではない。
生命に関わる医療機器の自己抜去が差し迫っているなど、他の方法では危険を回避できない場面もあるだろう。
しかし、例外的に必要な場面があることを理由に、日常的な身体拘束が正当化できるわけではないはずだ。
身体拘束を「例外」に戻したい。
「身体拘束をしないこと」を原則とし、どうしても必要と判断される場合には、それを最小化・最短化するために機能する仕組みがあることを前提とすべきだ。
そのためには、現場の医療者の努力だけでなく、病院管理者の責任、適切な人員配置、患者の権利を重視する組織文化、そして拘束を減らす取り組みを支える制度が必要になる。
「高齢者はこれでも脱出する」と笑う前に、みんなで改めて考えたい。
その人は、なぜそこから逃れようとしているのだろうか。
そして私たちは、その人を拘束せずに守る方法を、十分に考えたのか。
身体拘束は、高齢者医療を提供するための当然の前提ではないはずだ。
もちろん在宅医療にも重大な責任がある
日々の医学管理を通じて、急変や入院のリスクをできるだけ少なくすること。
急変時に確実に対応し、可能な限り、自宅や施設で対応すること。
どうしても入院が必要な場合にも、できるだけ早期に退院できるよう、受け入れ力を強化すること。退院した患者の再入院を抑制し、その機能回復を支援すること。
そして、それぞれのフェイズにおいて、患者・家族にとって納得のできる意思決定を支援できること。
病院と在宅医療がそれぞれの役割と責任を最適な形で果たすことで、患者にとっての医療の侵襲性を最小限に抑えたい。在宅医療・在宅ケアの力不足で、患者が望まぬ入院を強いられる状況は何としても避けたい。
そして「安全」と「尊厳」が両立した高齢者医療を実現させたい。
佐々木淳