『危険』をなくし、『挑戦』を残す—本当のバリアフリーとは
「バリアフリーよりもバリアありーのほうが安全だ」は本当か。
それを検証した論文。「バリア」の在り方をかなり端的に示している。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4296119
65歳以上212人を2グループに分ける。
片方は実験室で「滑り」を24回経験。もう片方は1回だけ経験。この両者を比較。
24回経験したグループは12か月の転倒者割合が半減(34%→15%)。しかし1回しか経験しなかったグループは転倒リスクが訓練群の約2.3倍に。
転びそうになったときの反応性姿勢制御は、実際にバランスを崩す経験を繰り返すことで学習・保持される。いわゆるPerturbation-Based Balance Training(PBT)だ。
2022年のレビューでもPBTは「予期しない外乱に対して一歩踏み出す、重心を戻す」という反応を鍛える方法として整理されている。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9583884
2025年のメタ解析では通常運動または無介入と比べて転倒率を約23%減らすと推定されている。
https://www.medrxiv.org/…/2025.07.23.25331962v2.full
一方、2023年の総説は「日常生活の転倒まで確実に減らす証拠はまだ不十分」と評価、エビデンスとしては完全に決着しているわけではないようだ。
https://www.sciencedirect.com/…/abs/pii/S0268003323002097
しかし、いずれにしても「バリアフリー」には議論が必要だ。
高齢者の身体機能には典型的な use it or lose it(使わないと衰える)がある。
段差をなくす、階段を使わない、立たなくてよい、手すりにつかまれる、すべて電動化するなどの環境整備は、短期的に転ぶ頻度を下げても、長期的には「必要とされる能力」そのものを奪う。筋力だけではなく予測的姿勢制御、ステッピング反応、前庭・視覚・固有感覚の統合、dual-task能力まで低下する。
では「バリアありー」がよいのか、というと、そう単純ではない。
「バリアを除去しない」のと「バリアを訓練として設置する」のは全く異なる。
暗い廊下にコード、滑りやすい浴室床を放置、認知症の人の動線に無意味な段差、こういうのは単純なるハザードだ。住宅の環境整備は、と転倒ハイリスク高齢者では転倒予防に有効だし、これはPBTと矛盾しない。
「危険」は減らしつつ「挑戦・刺激」は続けられる環境をいかに作るか。元気な高齢者ならエレベーターだけでなく階段も選べる、多少の高低差や芝生・坂道・縁石など異なる路面を歩く、片脚立ちや方向転換が必要になる、などの環境上の「挑戦」を残しつつ、照明不良、滑りやすい床、つまずきやすいコード、予測不能な段差などの「危険」は除去する。
また、同じ環境でも、人によっては訓練にもなれば事故原因にもなる。身体機能と環境負荷の関係は単純な比例関係ではない。自立歩行している75歳にとって10cmの段差は「挑戦・刺激」になり得るが、パーキンソン病+起立性低血圧+SPPB 3点の90歳には「危険・障壁」以外の何物でもない。
「バリアフリー vs バリアありー」という二項対立ではなく、本人の持てる能力より、少しだけ上に環境要求を設定し、能力が上がれば負荷も上げる。
こういう柔軟な設定が個別にできるのが一番よさそう。
「転ばない環境」を作るだけではなく「転びそうになっても転ばない身体」を維持する。
「バリアフリー」と「バリアありー」のバランス調整こそが高齢者の転倒予防。
病院やケアの現場で蔓延する「目先リスク回避病」を何とかしたい。
いや、これは高齢者の転倒予防の話だけではない。
枝が落ちるかもしれないからと、まるで爪楊枝のように切る詰められたみすぼらしい街路樹の並木を見ながら、この国の「目先のリスク」に対する極端な回避行動を憂う。
ちなみにこの写真はブリスベンで。
大きく育った樹冠が緑のトンネルを形成し、強い日差しから歩行者を守っていた。殺人空間に変わった日本のアスファルトとは全く違う心地よさと安心感があった。
佐々木淳
