常識より制度が優先される国で、本当に人は守れるのか
「どうしてこんなこともできないの?」という現場の素朴な課題意識は、細かな制度や法律そして縦割の行政的慣習の前では簡単に打ち砕かれてしまう。
たとえば在宅酸素に必要な酸素濃縮器のスイッチを入れる、指示に基づいて流量を調整する、これが「医師の専門性がないと危険な行為」という理由で、介護職には許可されていない。
いやいや、待ってください。
患者さんのお宅では本人、家族が操作するものですよ。
9時間のオンライン研修とか、実地研修とか、そんなものもないままに使っている。いや、感覚的に操作しても安全に使えるように設計されている。何ならオンラインで安全に使えているかどうかをモニタリングもできる。
それなのに、介護福祉士に酸素濃縮器を触らせるのはリスクが高いのだそうだ。
それではケアの専門的教育研修を受けた介護福祉士が触れないものを、何の研修も受けていない患者さんやご家族に触らせていいのはなぜですか?
例えば、動脈血酸素飽和度が下がって、酸素流量を増やさなければならない時、高齢者施設などでは現状、介護職が触れないという理由で看護師や医師を呼ぶ必要があるけど、医師・看護師が到着するまでの間、患者を低酸素状態で放置することのほうがよっぽどリスクが高くないですか?
誰の何を守りたいのか。
もう全然わからない。
喀痰吸引や胃ろうからの栄養投与は重厚な研修を受ければ実施できるようになっている。
しかし、これも家族は特別な研修など受けずにやれている。特に事故は起こっていない。いや、胃ろうチューブに栄養チューブをつなぐより、嚥下障害の患者さんにご飯食べさせることのほうがよっぽど誤嚥・窒息のリスクは高いのじゃないか。それでも前者は医療、後者はケアという分類なので、リスクの絶対量はあまり関係ないらしい。
また、胃ろうからの栄養投与はできるようになったものの、胃ろうからの薬剤投与は禁止されている。介護職が栄養投与できても、薬剤投与できなければ、結局、看護師を呼ばないといけない。栄養投与だけの患者さんなんてほとんどいない。結局、これってあまり現場の効率化(=財務省の大好きな生産性向上)にはつながっていない。
400mlの容量投与より、少量の水分で薬剤を投与することのほうがよっぽどリスクが少ないように思うが、「食事はOK、投薬は不可」というよくわからない理由で「医師でなければ危険な行為」なのだそうだ。
毎回毎回ばからしい議論をしてるなと思う。
現場を知らない人が、法律的用語をくるくる循環させて、議論のための議論を重ねている。もう少しみんな「常識的」になったらどうだろう。
胃ろうから栄養を入れていいなら薬も安全に入れられるに決まっているし、酸素濃縮器のスイッチを入れるのと、低酸素で30分放置するのと、どっちが危ないのかは小学生でもわかる話だ。
ついでに食道ろうが経管栄養の定義から漏れていたらしく、胃ろう・腸ろう・経鼻経管栄養がOKなのに、食道ろうだけは介護職では栄養投与できないとなっている。
食道ろうはあまりメジャーではないけど、それでも腸ろうの半分くらいは患者さんがいる。つなぎ方は同じ、栄養が届く先も同じ。身体に入る場所が違うだけ。そしてそれは手技や安全性に全く影響を与えない。こういう登録ミスみたいなところは秒で許可すべき。
今日の規制改革推進会議、テーマはタスクシフト・タスクシェアと医療等データの一次利用・二次利用について。
ムンバイからオンラインで参加した。
もう1つのテーマ、医療等データの利活用でも思うところはいろいろある。
法治国家だから、法律が大切なのはもちろんわかる。
だからこそ、現代に、いや未来に最適な社会の形づくりを、もう少し具体的に、そして弾力的に進めていくべき。
医療等データではもはや周回遅れ、というか、前世を彷徨っているような状況だが、このままだと本当に化石のような国になってしまう。
危機感をもって、そして国民が希望を感じるような議論がしたい。
佐々木淳
