医療は変容する。

佐々木理事 2023年 4月11日 Facebook記事より 

医療は変容する。

亡くなる人の大部分が85歳以上になる。

高度急性期医療の典型的医療の対象は84歳未満がメイン。今後は85歳以上の人の医療が大きなウエイトを占めていく。社会も変容する。出生率が改善し反転することを心から願う。

しかし、人口は急激に減っていく。社会システムは当然、変わらざるを得ない。地域も変容する。

ベッドタウンが急速に老いていく。特に85歳以上人口は大都市圏のベッドタウンゾーンで急激に増えていく。いわゆる住宅団地は高齢者ばかりになる。85歳を超えると住民は徐々に施設や病院に移り、街はボロボロになっていく。地方でも同じことがゆっくりと起こっている。若い人が戻ってこない、高齢者ばかりになる。

東京23区など特別な場所を除けば、日本中はほぼ同じような状況になる。

2つのことに取り組まなければならない。

一つは、できるだけ長く「地域住民」でいられるようにすること。

移り住む(施設入居など)にしても同じ地域の中で。

そして、もう1つは「次の世代」が街に入ってきてくれるようにすること。

地域包括ケアの街づくり。もっとも重要なのは「本人がどう生きたいか」。住民が簡単に弱らないようなコミュニティ+弱った先の生活の継続を支える在宅医療が絶対に必要。

最初に局所的な高齢化が問題になったのが公団(UR)の団地。ベッドタウンエリア、柏の豊四季台団地で実験的に取り組んだ。高齢者の在宅ケアの支援体制の構築に加え、若い人に団地に優遇的に入居してもらう。URはよみがえり始めた。ところが一戸建て団地は持ち主が循環しない。空き家になって、空き家のままになってしまう。空き家を作らない、若い人に貸す、売る、そういう街づくりが必要になる。

これをビジネスにできること、それを標準化できることをトライしていかなければならない。

地方の人口減少地域。町役場があったようなところは中核的拠点は残るが、里山は徐々に失われていく。地方の場合、モビリティによるネットワーク整備が不可欠。都市圏でない地方は、これまでの街づくりに加えてモビリティ、最終的に住民が近隣の「小さな拠点」に移住・集住する形になっていくのではないか。

これまでのベッドタウン「都心に通って、寝に帰る」=「職住分離」から「職・住・祉(ケア)一体」へ。そして入所→施設隔離から地域包括ケアへ。

日本は今後、生命関連産業・生活関連産業が日本の基幹産業となっていく。

郊外に施設をどんどん作り、そこに高齢者を隔離する方法は、将来的に無駄が生じる。

地域密着・小規模多機能が基本にしたい。

個人の生き方も変えなければならない。いまは平均的に75歳から弱っていく人が多い。弱るタイミングをできるだけ遅らせる、ゆっくりにする、もちろん最後は弱っていくが、そこをどう過ごすかを個々に考える。この部分においては医療が変容できていなければ患者に伴走できない。

もっとも重要なのはフレイル予防。そのためには自助に加えて、コミュニティの互助が必要になる。

在宅医療がメインの医療になる。ACP、自分の人生のこれからを、将来をどう過ごすかのかを考える。なんでも病院ではなく、在宅で病気とともに生きていくことを受容・選択できる社会をつくらなければならない。

フレイルは、健常と要介護の間、障害とはちがって可逆的な状態。ハイリスクアプローチ、すなわち85歳以上、実際に要介護になる手前で一生懸命やっても間に合わない。

弱り始める75歳の手前、さらにその手前でのポピュレーションアプローチが重要になる。特に女性は平均寿命が近くなると一気に要介護認定率が上がる。女性のフレイル予防が特に重要。低栄養が筋肉を減らし、代謝を落とし、さらに生活の質が下がる。これは医学的には当然の帰納。しかし、実は社会性の低下が、このフレイルサイクルを動かしていることもわかってきている。

フレイルのリスクは多元的。栄養・運動だけではなく、社会参加が重要になる。生活習慣病の発症・重症化予防は、食事・運動・禁煙、最後にクスリ。フレイル予防も同じ。栄養・運動・社会参加、しかしフレイル予防にクスリはない。クスリはないが、自分たち「が」取り組むことでしか予防ができないことを学んだ住民は、積極的に取り組みを始める。フレイル健診→ハイリスク者を絞って専門職が指導する。

そうではなく、ハイリスク者になる前に、市民が主体的に活動できるようにすること、日々の暮らしそのものがフレイル予防になっていることが重要ではないか。

フレイル度の高い地域に比べて、フレイル度の低い地域では「自治会などが開放的である」「住民組織を超えるイベントが多い」「多世代が交わっている」など、ソーシャルキャピタルが豊かであることがわかった。柏・豊四季台地区では、町会活動が活発な地域は要介護認定率が低い。

そしてこれらの地域には、新規住民にオープンであること、多世代の交流イベントが多いことなどの特色があった。

フレイル予防は、つまり街づくり。街づくりそのものがゼロ次予防になる。そういう意味では、就労は重要な社会参加のチャネル。「適度な就労」はフレイル予防に効果があることがわかっている。

65歳以上は「いきがい就労」が重要ではないか。

70歳まで就労支援義務ができたが、企業の多くは再雇用は難しい。大手企業でも大したことはできない。企業に任せるのではない、大転換が必要ではないか。

歳をとったら、職域ではなく地域で起業する、新しい仕事を始める。企業もそれを支援するべきではないか。地域には担い手を必要としている場所がたくさんある。高齢者地域就労における新しい価値観、賃金ではなく、健康やつながりを報酬とする考え方が重要ではないか。

ーーーーー在宅医療は何たるや。

地域包括ケアシステムで「ケア」の概念は明らかになった。ケアには医療と介護を含む。しかし、日本在宅ケアアライアンスでは、あえて「在宅医療」という言葉を固定し、そこに介護が含まれるという概念を用いている。85歳以上で亡くなる人が相当部分を占めるということは、在宅医療が重要であるだけでなく、医療の在り方そのものに変容を迫らねばならない。

そして、在宅医療を(個人の犠牲に依存するものではなく)システム化する必要がある。特に重要なのは、医師がグループ化する。看護、介護などの多職種と連携する。急変時は入院してもすぐ出てくる。こういうシステムを地域に創る必要がある。

日本在宅ケアアライアンスはかなり議論を重ねてきた。在宅医療のベースはかかりつけ医+24時間の訪問看護(類型1)、それで対応できないケースは在宅医療に特化した専門職チームと組む必要もある(類型2)。

さらに、移行期、安定期、不安定気、看取り期に区分される。在宅医療の目標は、治療だけではない。QOLだ。

LIFEには、生命、生活、人生の3つの意味がある。生命は生活に包含され、生活は人生に包含される。生命を守ることに加えて、いきがいが重要になる。

いきがいとは、1つは率直に生きる喜びが感じられるもの(1人称)、もう1つは第三者に存在を認められる、必要とされること、はりあい(3人称)、この2面がある。

そして相互に個人内、個人間でも循環する。亡くなる前に美味しいものを食べてもらって、笑顔になってもらえた。これは家族やケアに関わった人にとってもよろこび、いきる力につながる。いきがいは循環するものなのだ。病気を治す医療は限界がある。しかし、生活の充実、人生の満足は最期まで追及できる。そこにはいきがいと伴う。

日本の在宅医療は、病気の治療や苦痛の緩和のみならず、生活の充実や人生の満足=「いきがい」という積極的な心のありようを尊重するべきだ。在宅医療は、最期までその人らしく生き切ることを支援する、その人が生きる価値を認めるということが重要だ。健康概念も変容し、日本でいう「いきがい」ある状態に近づいている。

▼ 1.WHO 肉体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病または虚弱の存在しないことではない。

▼2.ICF 参加(社会活動参加、家庭や地域での役割など)という積極的な概念の重要性を強調。

▼3.フーバーら 健康とは「社会的、精神的、情緒的困難に直面した時に抵抗し、セルフマネジメントできる能力」もっとも大切なのは「尊厳の保持」。医療法にも介護保険法にも「尊厳の保持」が理念として規定されている。

地域包括ケアシステムにおける「自立」の概念も、尊厳の保持という側面から理解する必要がある。佐藤智先生・老人は最後の時まで生き続けるものであり、個性的なものである・老人は無限の可能性をもつ・老人は主人公である尊厳を保持するとは「その人がその人らしく生きる」ということ。

【医療法】第一条の2「医療は、生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし・・・」

【介護保険法】第一条抜粋「これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう・・」これからの医療はこれらの考え方を理解しなければならない。人間は多面的に弱っていく。食事と口腔機能、生活活動、社会参加。

これらはフレイル予防の重要な要素だが、同時に人が生きていくために最後まで必要なもの。最後まで残る大きな営み=「食べる」。そのために口腔機能の低下を防ぐということがとても重要になる。

オーラルフレイルは、老いて弱る経過の中で起こる一つの自然現象だが、いかに口を使ってもらうかということが重要。これは単なる生理学的な原則ではない。在宅医療にもぜひこの概念を持ち込んでほしい。モデルコアカリキュラムも改正された。

「学生が医療人として活躍する2040年以降の社会も想定し、モデルコアカリキュラムを改定する必要がある。多疾患の併存や様々な社会的背景を有する患者等の割合の増大が見込まれ、これらの患者・生活者を総合的にみる姿勢が医療人として求められる」これは在宅医療のことを言っている。それは単なる看取りのことではない。その人のQOLを常に確保しようとし、尊厳を大切にする、全人的医療を実現するための土台になる。全人的医療は在宅医療から始まるのではないか。

次世代の医療人を養成するためには、QOLの確保を目指す在宅医療の標準化が必要であるが、それは本人の尊厳のためのものでなければならない。生活の充実や人生の満足のためには、介護職の支援との共同作業になるので、医療との連携を念頭においた介護の標準化も並行的に必要ではないか。

「新しい全人的医療」としての在宅医療。新しい時代の医療のメインストリームを在宅医療から築いてほしい。究極の共生社会とはなにか。尊厳とは、「その人らしく暮らし切ること」であり、その人らしさを支援する人が、その支援を通して学び、与えられ生きていくという関係にある。

共生社会とは、尊厳(それぞれのありのままの価値)を認め合う社会である。糸賀一雄先生の言葉・価値なきものとして片隅にうっちゃっておけば価値なき者になってしまうけれども、もし私たちがその価値にめざめ、価値を発見するときに、その価値は無限に創造されるものだという矛盾的なことがらに気がついたわけなのです。

それは相手の中に価値が創造されたということと、それが私自身の内面的な人間の変革ということと同じであったという認識に外ならないわけなのです。・自覚者こそ、世界の平和に対する責任者であります。

アーノルド・トインビーの言葉・社会は改革されなければならないが、人間の変革を伴わない社会の改革には意味がない。

先月に引き続き、辻哲夫先生の熱血教室。さまざまな課題に直面し、自分たちの確信が揺らぐタイミング、北極星のように未来のあるべき方向を指し示す辻先生のメッセージの重さを心に刻む。贅沢な学びの場を独占させていただいていること、毎回、素晴らしいプログラムをご提供下さる昌克先生と学び合いの仲間たちにも心からの感謝を。