佐々木理事 2023年 3月26日 Facebook記事より
認知症には「緩和医療」が必要。
認知症の人は、生活の中での失敗、みじめな思い、辛い思い、精神的な苦痛を経験している。
しかし、自信を取り戻すことで、できなくなっていた生活が改善する。
ただ、感じている苦痛は人それぞれ。
どこにその人の苦痛があるのか。
その人が、自由に話ができる環境を確保した上で対話を重ねながら、理解をする、くみ取る、感じようとすること。
これが一番大切なこと。
認知症の人が感じている精神的な苦痛は大きく2つ。
1つは「無価値感覚」。
以前できていたことができなくなることで、一人の人間として価値がなくなってしまったのではないかと思ってしまう。
もう1つは「孤独」。
本人の本当の苦悩が家族に理解してもらえない。
家族は「なんとか病気をよくしよう」、「進行を遅らせよう」、そう思う。
本人が苦しんでいることに応えられないどころか、さらに負担をかけてしまうこともある。
本人はそこに孤独を感じてしまう。
一人で暮らす、一人の生活を続けていくことよりも、家族の中で理解されないことのほうが孤独は大きい。
家族に迷惑をかけている。
家族になにもしてあげられない。
家族からはしてもらうばかり。
それが苦しいという人もいる。
「心配しなくていい」とかいうのではなく、ただ話を聞く。誰も聞いてくれなかったことを、この人が聴いてくれた。
これだけで、明らかに本人は変わる。
本人の生活の質も変わる。
もちろん認知症でない人に、認知症の人の本当の苦悩が理解できるわけではない。
だけど、話を聞いて理解しようとすること。
それが大事だと思う。
繁田先生のお話を聞いて、認知症医療はいわゆる緩和医療なのだと改めて思った。
繁田先生は「医療に逃げるな」とも。
「医学的には」ではなく「人としてその人と会う」ことが大切だと。
中学生向けの認知症の特別授業。
自分のお母さんが認知症になって、料理が上手に作れなくなって落ち込んでいる。
君ならどうする?という問いかけに対し、中学生たちの答えは
「大丈夫だよと伝える」
「一緒に料理をするのを手伝う」
きちんと本人の苦悩に向き合えている。
だけど、認知症の人の家族の多くはそうではない。医療職でも福祉職でもない不思議な「管理者」になってしまう。
認知症になると何もわからなくなるから、家族が代わりに考えなければならない。
だけど、家族は認知症を勉強していない。
ドリルやリハビリを強要され、食事をゆっくり楽しむことも、自分で時間の過ごし方を決めることもできない。自分の家なのに落ち着くこともできない。
混乱して、失敗して、落ち込んで、消耗して病院にいらっしゃる。
病気そのものは改善できなくても、自信を取り戻すことができれば回復する。
大丈夫、必ず良くなりますよ、と伝える。そうすると、2週間から1か月くらいで変わってくる。
「診断する」「治療する」のその前に、まずはその人と「人」として関わること。
たくさんの認知症の人とその家族との対話を重ねてこられた繁田先生との90分は、対人援助者としての在り方を一から考え直すとても貴重な時間となった。
それは認知症の医療やケアに留まらない、私たちが心すべき人と向き合う上での普遍的なものであるとも思った。