佐々木理事 2023年 1月12日 Facebook記事より
これは「分断」というよりも、パラレルワールドといったほうがよいのかもしれない。
同じ時間、同じ場所でありながらも「コロナの存在しない世界」と「コロナの存在する世界」があるらしいのだ。
年末年始でピークアウトするかと思われた第8波はその後も拡大を続け、連日400人を超える方が新型コロナで亡くなっている。ここには隔離期間を過ぎてから亡くなる呼吸器障害や心不全、衰弱の進行した要介護高齢者は含まれない。総死亡者も6万人を超えたが、実際にはもっと多くのコロナ関連死(超過死亡)があるはずだ。
感染者の増加により重症者も増加、救急医療システムは逼迫し、千葉市では年を明けてから救急車は出払い続けている。救急隊が到着するまで1時間以上かかることも珍しくない。搬送先が県外になることも。僕の担当患者も、重度細菌感染症で入院調整を試みるも22病院に断られ断念、在宅で抗菌薬投与をしながら翌々日にようやく搬送先が確保できた。亀田総合病院の白石淳救急部長は「コロナ禍が始まって以来の未曾有の医療崩壊」とTwitterで発信していた。多くの救急医療の現場の本音なのだと思う。
しかし、メディアはこの状況には無関心だ。代わりに「全国旅行支援の再開」をトップニュースに掲げる。年明けの夜の新橋はコロナ前と変わりない。マスクを外し、密な居酒屋で新年会を楽しむサラリーマンたち。銀座も新宿も百貨店はどこもたくさんの人で賑わう。以前はがらがらだった飲食店はいまはどこも予約でいっぱいだ。政府は外ではマスクを外せと啓発、学校給食の「黙食」も解除されつつある。
一方、医療や高齢者ケアの現場は緊張感が解けない。特に介護の専門職に私生活を含め、慎重な行動をいまだに強いる事業所も少なくない。コロナ対応する医療機関はキャパシティを超える患者数にバーンアウトしつつある。発熱外来はどこも混雑、苛立つ患者が医療者をさらに疲弊させる。入院病床では、スタッフの感染により病棟単位での閉鎖も。高齢者ケアの現場ではクラスターが多発、介護・看護職員の感染によるマンパワー低下の中、感染した高齢者のケアをなんとか継続しようと必死だ。精神科病棟も密かに厳しい状況になりつつあるらしい。
要介護高齢者のほとんどがワクチン5回接種を完了している。しかし、それでも新型コロナに感染すると、10人中6人は軽微な症状(発熱や咳嗽のみ)で済むが、4人は衰弱加速(食事が摂れなくなる・寝たきりになる)、うち1人は在宅酸素(心不全増悪・誤嚥性肺炎併発なども含む)が必要な状況になる。衰弱が加速した4人のうち2人はその後回復するが、2人はそのまま衰弱が進行し、明らかに死期が早まる。インフルエンザでも感染を機に衰弱する人はいたが、ここまでではない。ワクチンのおかげで「コロナ肺炎」で亡くなる人は激減した。第5波、デルタ大戦のころのような緊迫感はないが、新型コロナ感染症が特に高齢者にとっては脅威であることには変わりはない。京都大学の西浦博教授は超過死亡を勘案すると60歳以上の実際の致死率は3.14%と算出している。30人に1人が死ぬ計算だ。20代の死亡も113人に上る。少数ではあるがインフルエンザで20代は死なない。
マスクはしている。アクリル板もある。だけど、もはやコロナはただの風邪、大したことはない。多くの人はそう考えている。ワクチンを打った基礎疾患のない多くの若年層については確かにその通りかもしれない。だけど、感染防御のガードが下がったことで、感染の波は医療や介護の現場にも押し寄せる。
以前は、医療を守るために、と協力してくれた市民の中にも、コロナで死ぬのは、どうせ近い将来死ぬ運命にある高齢者、高齢者の死因が一つ増えたと思えばいいじゃないか、そんな割り切った意見も聞かれるようになった。
それでも、重度化した感染者には医療が求められる。要介護高齢者からといって見殺しにされることはない。忘年会を楽しむ若年層も、自身や家族がコロナに感染すれば、必要な医療やケアを要求する。そして医療や介護の専門職は、要求されなくとも、目の前の「いのち」に真摯に向き合い続ける。
「コロナのない世界」のツケを、いまだに「コロナのある世界」から抜け出すことを許されない医療介護職に一方的に押し付けることはそろそろ終わりにすべきではないか。
医療崩壊をさせない程度に感染拡大を抑制する。コロナ対応の基本であったはずだ。いまはタイミングが悪ければ救急車を呼んでも来ない、搬送先が見つからない、そんな状況だ。当事者にならなければこの非常事態に気づくこともないかもしれないが、もし、この状況を許容するというのであれば、死ぬのは要介護高齢者だけではない。いま心筋梗塞や交通事故を起こすと助からない可能性があることは理解しておくべきだ。
また、重症化する若年層の多くはワクチン未接種者だ。悪化した時に入院治療を希望するくらいなら、最初からワクチンを接種しておくべきだ。米国では12月に入ってオミクロン派生株であるXBB.1.5(通称クラーケン)が急速に勢力を拡大している。すでに日本にも上陸している。オミクロン対応型ワクチンを接種しておくことで、重症化・死亡のリスクを下げる効果が期待されている。ワクチンの接種回数が3回未満、または前回接種から半年以上経過している人は、医療を守るためにも、ワクチン接種を強くお願いしたい。重症化率が下がったとは言え、感染者が増えれば、当然重症者も増える。これ以上の負荷に医療は耐えられない。
介護の現場も限界だ。
介護は医療よりも長時間の密着したケアが求められるにも関わらず、それに相応の評価が存在しない。施設や在宅でのケア提供体制が崩壊すれば、感染した高齢者はコロナ病床に入院するか、その場で放置されるかのいずれかだ。前者は医療崩壊に拍車をかけ、後者は死亡者を増やす。
いまの介護現場は専門職の使命感だけで支えられていると言っても過言ではない。しかし、彼らにも家族がいる。中には高齢者や基礎疾患のある人もいるはずだ。特にヘルパーの中には高齢で基礎疾患をもつ人も多い。感染リスクを伴うケアに対して危険手当くらいはあってもいいのではないか。同僚が感染で離脱していく中、現場を守るために、より長時間・高頻度のシフトを緊張感の中で支え続ける。そんな高齢者施設をたくさん見てきた。
それでも「コロナのない世界」から戻れないなら、自分や家族が感染した時に、あるいはコロナ感染以外の疾患や事故に遭遇した時に、これまでなら当たり前だった医療やケアが受けられない可能性があることは受容すべきだ。
それが受容できないなら、その幻想を陰で支えている専門職に相応の対価を支払うべきだ。コロナで入院すれば1日数万円の医療費が生じる。高齢者を入院させずに踏ん張っているケアの現場に、少なくともその半分くらいは支給してもよいのではないか。
ウィズコロナだ、経済活動は制限しない。黙食も解除、子どもたちにも普通の学校生活を。大変結構だ。その方向で進めてもらって構わないと思う。
しかし「コロナのない世界」は存在しない。
その選択に何が伴うのか、そしてコロナを気にせず生活できる社会を支えるために何が必要なのか。政府は医療介護の現場に一方的に後始末を押し付ける前にきちんと説明すべきだ。そして「コロナのない世界」の住民の方々にも、今は少しだけ立ち止まって、この状況について考えてもらいたい。