必要な人に、必要な栄養を届けるために ― 在宅医療で見落とされる低栄養
94歳の祖母が和歌山で暮らしている。
先日、彼女の在宅主治医から突然、電話があった。
急変でもしたのか。
ドキドキしながら電話に出ると、意外な話を切り出された。
「佐々木先生からのリクエストで処方していたイノラスですけど、とりあえず処方終了にさせてもらいますね。」
一人暮らしをしていた祖母。
外出が難しくなり、食品アクセスも難しくなり体重が減少、歩行も不安定になり転倒を繰り返すように。
施設入居時には、かつて50キロを超えていた体重は40キロを割り込んでいた。
降圧薬もよいけど、それよりも栄養管理をちゃんとやってほしい。
そう彼にリクエストして、イノラスをスタートしてもらったのだ。これで1日300kcalを安定的に追加できるようになった祖母の体重減少はとりあえず止まった。
しかし標準体重は48キロ。
そこにはなかなか届かない。
高齢者は体重が減ると、そう簡単にもとには戻らないのだ。
「体重の変化がどんな感じですか? 食事量をその分増やしてもらえそうですか?」
「体重はわからないですけど、あまり変わってない感じします。おやつは食べてるみたいです。とりあえず栄養剤は査定されるそうなので、一度、切らせてもらいます。」
「栄養評価はしていただいているのでしょうか、例えばMNAとか」
「MNAって何ですか? アルブミンは3.5くらいあるし、大丈夫だと思いますよ」
いまだにアルブミンか。まともな栄養評価されていないのか。
そして祖母の健康リスクよりも、査定リスクを優先するのか。
正直ちょっとがっかりした。
そもそもなぜこんな議論が生じるのか。
実は昨年12月、イノラスやエンシュア、ラコールなど、処方可能な「医薬品ONS(経口栄養補助剤)」に対して、食品類似であり保険から外すという維新・自民の幹事長合意がなされたのだ。その後、その影響の大きさを懸念した専門職の声やパブコメもあり、事実上、この方針は撤回された。
特定された明確な栄養リスクがあり、医師が必要と判断すれば、栄養治療としての医薬品ONSの処方は現在も継続できる。
しかし、情報がアップデートできていない医師もいる。また、ここに至る議論を通じて、医薬品ONSの処方継続を躊躇する医師もいる。実際、新しい診療報酬制度が反映された6月以降、医薬品ONSの処方量は大きく減少しているという。
なぜ栄養補助食品を処方する必要があるのか。
それは「栄養治療」が必要な患者がいるからだ。
老健局の調査によると、地域高齢者の約3割は低栄養状態にある。
在宅介護が必要なレベルになると6割の高齢者がやせ型(BMI18.5未満)、在宅医療を受けるレベルになると栄養状態が良好な人は11%しかいない。
この低栄養・低体重は、要介護度悪化、そして入院や死亡のリスクに直結する。
栄養が足りないと筋量減少(サルコペニア)やフレイルが進行し、誤嚥性肺炎や骨折など脆弱性疾患のリスクになる。この2疾患だけで在宅高齢者の緊急入院の50%を占める。
医療費におけるインパクトも無視できない。
日本のレセプトデータを用いた研究では、低栄養(と厳格に診断されたケース)による医療費は145億ドル、うち98億ドルが「超過医療費」、つまり低栄養がなければ回避できたとされている。
98億ドル=1.5兆円。
とてつもない金額だ。
健康保険料の下げ圧力の中、給付を絞りたいのはわかる。
医薬品ONSを自費にすれば、栄養治療へのアクセスは制限される。
1日300kcalを喪失する僕の祖母も、このままでは再び体重減少が進むのではないかと思う。幸い、ここ数年、骨折や肺炎なく過ごせていたが、栄養状態が悪化すれば、そのリスクは高まる。入院すれば100万円くらいの公金は軽く飛ぶ。そして祖母の要介護度は悪化し、もしかしたら死んでしまうかもしれない。起こってから治療するよりも、それを予防することのほうがずっと安価で安全なのに。
やるべきは栄養ケアへのアクセス制限ではない。
必要な人に、必要な「栄養」を確実に届けることだ。
栄養ケア・栄養治療は単なる支出ではない。社会投資だ。
その受益者は患者本人だけではない。1.5兆円の超過医療費を分担する私たち全員にとっての利益だ。医薬品ONSの処方で仮に2000億円の医療費支出が発生しても十分すぎるお釣りがくる。
必要な人に、必要なタイミングで、必要な栄養ケアを。
そのためにも医薬品ONSという選択肢が存在することは重要だ。
もう1つ重要なのが医療者の低栄養に対する理解だ。
残念ながら、医師の低栄養に対する無関心は絶望的レベルだ。
介護主治医意見書(要介護度認定のための医師の診断書)には、患者の栄養状態に関する質問が1つある。栄養状態「良好」「不良」、選択肢はこの2つしかない。
在宅医療・介護が必要な高齢者の過半数が低栄養・低体重であるにも関わらず、しかし医師の判定は99%以上が「栄養状態:良好」だ。
正直、ありえないと思う。
栄養治療のスイッチを入れることができるのは医師だけだ。
歯科医師と歯科衛生士を除くと、それ以外の医療専門職が医師の指示がなければ動けない。管理栄養士や言語聴覚士が患者の食支援や嚥下トレーニングをするためには医師の指示書が必要だし、食欲や摂食嚥下機能に悪影響を及ぼす薬を処方するのも、そして医薬品ONSを処方できるのも医師だけだ。
その医師が、低栄養に気づかないのだ。
それでも仕事はできる。在宅医療以外でなら。
なぜなら入院患者には栄養ケアがセットになっている(入院基本料に含まれる)からだ。
施設(特養・老健)も栄養ケアがセットになっている(未実施だと減算になる)。
だから、医師が無知・無関心でも、低栄養が放置されるリスクは少ない。
しかし在宅は状況が異なる。
栄養ケアはセットになっていない。
誰かが気づかなければ、そして医師が栄養ケアをオーダーしなければ、放置される。
個人的には栄養ケアの視点のない医学管理などありえないと思う。
もし、医師が栄養を無視し続けるのならインセンティブ(またはペナルティ)設計が必要ではないか。悲しいことだが、報酬がつかなければ行動変容できない医師も多いのだ。
たとえば在宅時医学総合管理料の算定条件に「栄養ケア・アセスメント」を入れる。未実施の場合は減算する。あるいは在宅データ加算の栄養状態の評価項目を「良好・不良」ではなく、低栄養スケールとGLIM基準による定量的・質的評価とする。これくらいはやってもいのではないか。
ちなみに管理栄養士の在宅訪問(訪問栄養食事指導)の提供体制確保が施設要件とされた在宅療養支援病院は、その約半数が実際には管理栄養士を訪問に出せない状況だという。施設基準が機能しないなら、訪問栄養食事指導の実績で評価してはどうか。
一昨日、開催された医薬品経腸栄養剤研究会で、そんな内容のお話をさせていただいた。
今後も保険外しの提案は繰り返されるかもしれないし、そんな状況に備えて、きちんと理論武装と、そしてそのためのエビデンスの蓄積もしっかりとしていきたい。
祖母はイノラスの処方が中止されてもうすぐ1か月になる。
1日300kcalを他で補充できていなければ、1か月でマイナス9000kcal、1.2kgくらい体重が減少している計算になる。しかし1キロは誤差の範囲。変化が明らかになるのは3か月後くらいか。
その後、主治医からまた連絡があった。
MNAではAt-Riskだったという。
実は施設に電話して体重変化は自分で確認して、MNAも実施済だったけどね。
でもちゃんと勉強はしていただけたのですね。
面倒な家族でごめんなさい。
でも、これからは(祖母以外にも)栄養アセスメントはきちんとやっていただきたいです。
佐々木淳
医療法人社団 悠翔会 Facebook■医薬品経腸栄養剤研究会「令和8年度総会」での講演のご報告
医療法人社団悠翔会理事長の佐々木淳が「在宅高齢者における低栄養の課題と医薬品経腸栄養剤研究会に期待すること ~次回診療報酬改定を見据えて~」をテーマに講演いたしました。
当日は、経腸栄養分野を牽引する主要メーカーの経営幹部の皆様をはじめ、業界関係者の方々約20名が参加されました。
今、在宅医療の現場において大きな注目を集めているのが、次期診療報酬改定を見据えた「医薬品ONSに関する今後のあり方」の議論です。
在宅高齢者における低栄養の実態は非常に深刻です。それを支える医薬品ONSは、単なる栄養補給の手段にとどまらず、患者さんの命を繋ぎ、住み慣れた自宅での療養生活を継続するための重要な選択肢となっています。
講演では、在宅医療のリアルな最前線の実態をお伝えするとともに、今後の制度改定を視野に「今、医療現場と産業界が連携して取り組むべき課題」について提起させていただきました。
参加された皆様は非常に真剣な眼差しで耳を傾けてくださり、課題に対する強い危機感、そして現場の患者さんを支えようという熱い想いを共有することができました。
患者さんの「食」と在宅生活を守るためには、優れた栄養剤を開発・供給してくださる産業界の皆様の力と、我々医療現場との緊密な連携が不可欠です。
大変貴重な機会をいただきました研究会の皆様に、心より感謝申し上げます。 これからも強固なタッグを組み、共に歩んでまいります。
※医薬品ONS:体力が落ちて通常の食事が難しい方に、医師の診断のもとで処方される「飲む医療用栄養食」のこと