「ケアされる私」を想像したときに見えた未来
自分自身が要介護になったとき、誰がケアをしてくれるのだろうか。
在宅医療や介護に関わる仕事をしながら、時々、そんな疑問が頭に浮かんでは、考えないようにしていた。
それは外国人でも、元気な高齢者でもない。
ロボットだ。
ロボティクスは恐ろしい速度で進化している。
日本がペッパーくんで盛り上がっていたころ、ボストンダイナミクスの犬型ロボットはカシャカシャと階段を昇降していた。動摩擦係数を意識したようなそのオーガニックな動きに驚かされた。その後、なんとなく人型と言えなくもないロボットがジャンプしたり、宙返りしたりできるようになったかと思えば、いまやシルエット的には完全に人型のロボットがライブで人間のプロダンサーと同じようなキレキレの動きを見せている。
これらの開発には軍事予算からも間接的に研究開発費が投入されているのだちと思うが、その一部の機能だけでも民生化されれば、特に生産年齢人口の減少を補って余りある「戦力」になることは間違いない。
介護はAIやロボットで代替できない分野とされてきたが、24時間の介護サービス、特に物理的ケア業務の主たる担い手も間違いなくこれらが主体になっていくのではないか。
現在の技術革新のスピードを考えると、少なくとも2040年までには介護業界でも導入できるくらいの汎用人型ロボットが開発されていると思う。
高齢者施設などバリアフリーの平面環境での使用を想定するなら上半身をムーバーに乗せるだけでもいい。ここはあと10年を待たずに普及するのではないか。
日本の狭小かつ個別性の高い住宅での介護を想定する場合には、人型または多脚型である必要がある。その普及は高齢者施設よりは遅れるだろうが、1体1000万円に収まれば月々10万円未満でリースできる。これで24時間働き、見守り続けてくれる、移動を手伝い、食事も排泄もケアしてくれる。老人ホームに入居するよりも安くて、かつ快適かもしれない。
ただし介護の仕事は単なる作業ではない。
人間にしかできない領域もある。
たとえば、その人の感情やバイタルサインに現れない微妙な違和感を察する力。家族関係や人生背景を考慮した上での個別のアセスメント力。そして、不安・孤独・尊厳に寄り添う対話力。
「人として関わってもらえている」という感覚が利用者のQOLに直結する。
逆に言えば、介護専門職は、人にしかできない領域に専念できるということになる。
しかしAIは進化を続ける。
表情を読み取ることで、うつなどの精神疾患の診断補助や、患者が医師の説明に納得できているのかを判断するAIはすでに稼働している。微細な体温の変化や発汗の状況などから人間よりも早期に「違和感」を検出できるようになるかもしれない。
本人・家族・友人のSNSなどに蓄積された生活歴や行動歴、そこでの発言(発信)履歴などから、その人の価値観や人生観を推定し(それが「映え」の可能性ももちろん考慮した上で)その人にとっての最善のケアプラン、最善の選択を一緒に考えてくれるかもしれない。
また、みなさんの中にも、すでにAIとの対話で癒されている人もいるかもしれない。米国で行われた研究では、人間の医師よりもAIのほうが共感力に優れていたという報告もある。
もちろん、ヒューマノイドに「体温」はない。
それらしい対話の背景に、本物の感情が存在しているわけではない。
その代替できない部分において、介護専門職は、これまでよりも高度な「専門性」を発揮することが求められるようになるのだと思う。
変化は介護領域だけではない。
外来や在宅医療も大きく変化するだろう。
ロボットはバイタルセンサー・通信デバイスとして機能し、患者と医療者のインターフェイスになる。
自宅での平時のモニタリングは、定期通院や訪問診療への依存度を確実に下げる。
詳細な客観的データの共有・蓄積に加えて、時々、ロボットを経由して患者とビデオで対話ができれば、それで必要十分ということになるかもしれない。
救急・入院への依存度も大きく下がる。
自宅での急性期治療もより安全・確実に実施できるようになる。
常に一人の「病棟看護師」が24時間ベッドサイドで見守り続けてくれるのだ。
急変や急性増悪の徴候を超早期に探知し、超早期に治療することが可能になるかもしれない。
また、6G,7Gが普及していれば、医師や看護師がロボットをタイムラグなく遠隔操作して一定範囲の医療行為を実施することも可能になる。もちろん何かの時はアウトリーチが必要だが、緊急往診や救急搬送への依存度は大きく下がるだろう。2次救急までの入院は間違いなく大きく減るはずだ。
これは実現可能な未来だ。
おそらく技術的にはあと10年あれば十分なはず。
問題は制度だ。
事故が起こったときに誰が責任を取るのか。
特にゼロリスクにこだわる日本では、新しい自律型技術の導入が遅れがちだ。
例えば無人運転の場合、WaymoやTeslaはすでに人間のドライバーよりも事故率が低いレベルの安全性能を確保し、米国では急速に普及している。
人間よりも安全なら使わない理由はないし、何かあれば訴訟で決着、責任は契約と保険で切り分け、そして社会が「一定の事故のリスク」を事前に織り込んでいる。
日本で難しいのは、事故そのものよりも事故後だ。
AIが判断を誤り、ロボットが事故を起こしたら誰の責任なのか?
メーカー?AI開発者?オーナー?運行管理者?それとも国の認可責任?
日本社会は何かあれば社会は「事故=制度の失敗」と国を批判する。
新しいものはゼロリスクが前提、前例がないと進めない、100点でないと社会に出せない、そんな状況で、結局国民自身が、安全な新技術よりも相対的にリスクが大きく生産性も低い従来型のやり方に縛られ続ける。
しかし介護業界における人手不足は極めて深刻だ。生産年齢人口が減少していく中で、財源確保も含めその手当のめどはついていない。また増大し続ける社会保障支出に加え、若い人が「経済生産性の低い仕事に収奪される」ことが社会全体の生産性・経済成長への足かせになっているという理屈が、高齢者に対する医療ケアを制限せよという論調につながり、社会を分断しつつある。
介護領域へのロボティクスの導入は、これらの問題の本質的解決につながる。また、もし日本がこの領域でイニシアチブをとることができるのであれば、未来産業の育成にもつながる。
間違いなく課題先進国としての優位性を活かすべき局面だ。ぜひ国家戦略投資の対象領域として、ポテンシャルのある日本企業を支援してほしい。
その普及にあたっては、国が一部責任を引き取る覚悟で、例えばワクチンの国家賠償制度のように一定の条件下で事故の責任を特定の個人や法人に負わせない形で、業界が新しい技術を導入していくことを積極的に後押ししていくべきではないか。
また、タクシー業界がライドシェアを叩いて潰したのは記憶に新しいが、いま確立されている事業モデルを維持するために社会全体の進歩が止められるのは、未来の国民にとっても大きな損失になる。医療や介護の制度面のリフォームも同時に進めていく必要がある。
同時に「事故はゼロにできない」という社会合意を醸成していくことも重要だ。
問うべきは、事故が起こる可能性はないのか?ではなく、この社会の持続可能性を確保するためにいま何をすべきか、ということ。少なくとも、社会や制度がゼロリスクにこだわり、個人の選択を制限することは絶対に避けるべきだ。
ロボティクスはすでに医療介護の一部を担っているが、今後、その領域は飛躍的に増大する。
専門職は、この新しい流れの中で、新しい役割を見出す必要がある。
その時、これまでとは異なるスキルが求められる。
ロボティクスが苦手とするより普遍的・根源的なスキルなのか、あるいはロボティクスと競いうる(あるいはその育成を支援しうる)より細分化・高度化されたスキルなのか。
いずれにしても「どっちもそれなりにできますけど」という存在は居場所がなくなっていくような気がする。