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ラマダンの黄昏に

黄昏の街から人影が消える。
陽の光と白壁のコントラストが深まる。
音もない。
ただ空の色だけが徐々に変化していく。

猫たちがいなければ、まるで時が止まったように感じる。
まるで夢の中にいるような不思議な気分。
幻想的とはこういうことをいうのか。

この瞬間を捉えておきたいとメディナの入り組んだ路地を一人で歩き回った。
日没とともに響き渡るコーランの朗誦。
それまで静まり返っていた街に、少しずつ体温が戻ってくる。
一日の終わりの感謝と安らぎに包まれる瞬間。

同時に細い通りにはダムの放流のように人の流れが集まってきた。
人の流れを避けながら旧市街を西端まで歩くと、小さなレストランがちょうどドアを開けてくれたところだった。
予約はないけど・・と声をかけてみたところ、お店の人は笑顔で奥の席に案内してくれた。
12時間ぶりの水。
砂漠に降ったの雨のように喉の奥に浸み込んでいく感じがした。

ナツメヤシを食べる。
全身の細胞のスイッチが入るような気がした。
その後、スープ、副菜、主菜、お茶、デザートと定められた順番に食事が出てくる。
石窟のような古い空間の奥にはスマホの電波は届かない。
目の前のものに全感覚が集中する。

水を飲む、食事をする。
こんなに豊かな体験だったのか。
そしてなんだかいまこうして生きている(生かされている)ことのありがたさをなぜか強く感じた。

ラマダンはイスラムの「五行」の1つ。
その語源には「灼熱」という物理的な意味と、「精神的な浄化」という宗教的な意味、二つの側面がある。
イスラム教徒は約1か月間、太陽が出ている間は食事も水分も摂らずに過ごす。
飢えを体験することで食べ物があることへの感謝を思い出し、貧しい人々の苦しみに共感する、そして神とのつながりを再確認するのだという。
3日間のラマダンを体験したが、無信教の僕にとっても素晴らしい体験だった。
そしてイスラム文化への関心も深まった。

一部の過激な行動がイスラム教と結び付けられて報道されることも多いが、実際のイスラムの世界は、つながりや慈悲、美学に満ちたとても豊かな文化を持っていることを知った。
五行の1つ「喜捨(寄付)」や、見ず知らずの人ともラマダン明けの食事を分かち合う精神は、コミュニティ全体で助け合うという平等と連帯、そして深い優しさに根差している。
それはこの地で出会ったすべての人から感じることができた。

イスラムの挨拶「As-salamu alaykum(アッサラーム・アライクム)」は直訳すると「Peace be upon you(あなたに平安がありますように)」。
神と人、そして人と人との絆を大切にする、温かくも規律正しい世界観。
残念ながら中東では再び戦争が行われているが、本来イスラムの人々は平和と安らぎを何よりも重んじる。

チュニジアはイスラム国家の中でももっとも開放的な国。
政教分離も女性の社会進出も進んでいる。紀元前のローマ時代からフランス植民地時代などの変遷を経て、アフリカ国家・アラブ国家であるとともに地中海文化・ヨーロッパ文化も色濃く混じる、本当に魅力的なところ。
イスラム教に漠然とした不安を感じている人もおられると思うが、ぜひ一度、チュニジアに来てみてほしい。
その先入観は大きく変わるはずだ。
できたらラマダンの時期をお勧めしたい。

ちなみにチュニジアでは旅行者はラマダンに従う義務はない。ちょっと飲み食いしても怒られない。
日本にもイスラムの方が多数暮らしておられるが、多くの人にとってイスラムは未知の世界だ。そしてそれが時に偏見につながる。
その戒律、特にイスラムの人にとって大切な五行は、日本人には違和感があるかもしれない。「日本で暮らすなら日本の文化を尊重せよ」と声高に叫ぶ人もいる。
それは当然のことだと思う。

しかし、であるならば、彼らの文化に対するリスペクトもあって然るべきだ。
私たちが日本以外の価値基軸を拒絶するなら、彼らは「拒絶」が日本の文化だと理解するかもしれない。であれば彼らが日本文化を拒絶することを、どう否定できるのか。
コミュニティの安定と平穏は、相互の理解があって初めて成立する。
それは私たちにとって新たな気づきと可能性をもたらす。
そして何より多様性への寛容さこそ日本文化の最大の特性の一つであったはずだ。
体質的にアルコールが分解できない僕には間違いなく北東アジア由来の遺伝子が組み込まれているし、二重瞼と眉毛はポリネシアの血統かもしれない。
世界各地からユーラシアの東の端っこまでやってきた好奇心旺盛な私たちの祖先。
古くは中東やインド、東南アジア、中央アジア、そして中国や韓国の文化を取り込み、近代以降は欧米の文化をも取り込み、いまの日本がある。
問われているのは、いかに彼らに日本の戒律を守らせるか、ということではなく、私たちが本来の日本の文化の特性を守り続けることができるか、ということではないのだろうか。
SNSの中で嫌悪感を増幅させる前に、その偏見を好奇心に変えたいと思う。
きっと私たちの先祖がそうしてきたように。

佐々木淳

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