1. HOME
  2. ブログ
  3. 活動履歴
  4. 在宅医が見つめる最終段階医療 ― 不条理を納得へ変える力

在宅医が見つめる最終段階医療 ― 不条理を納得へ変える力

要介護4の90歳女性が誤嚥性肺炎で入院した。家族との話し合いで心肺停止時は蘇生を行わないことになった。入院後の治療経過は良好であった。入院7日目に病室で患者が心停止しているのを看護師が発見した。看護師は蘇生処置を行うべき?
「医者に質問・拡散よろしく」というメッセージとともにポストされた上記の質問。

みなさんはどう思いますか?
リンク先で結果を閲覧できますが、回答者の約75%は「行うべきでない」。「行うべき」という回答は約20%でした。
https://twitter.com/lE9BrvyUwLLVZIE/status/2026635395509924189…
「DNARとってるんだから、蘇生しなくていいはず」という意見が大多数。逆に「DNARとってるのに蘇生なんかしたら家族に怒られる」という方も。
「DNARの有無以前に、要介護4で90歳の誤嚥性肺炎ってことは終末期なんだから蘇生しても苦しいだけ、やるべきでない」という意見もありました。

上記の状況に対して
「あー、こりゃ高齢者医療クソ舐めてる医療従事者が山ほどいるの分かるわ。この認識で医療従事者が高齢者バッシングやってるとかもうやばいな。訴訟を正当化しとるぞお前ら分かっとんのか?」とEARL先生が引用リプライ。

それに対して何を指摘されているのかわからない、という医療者も多くおられたようです。
DNARの定義の認知度が意外と低くて驚きましたが、重要なのは「DNARを取っているか否か」「原疾患によらない心肺停止はDNARの対象になるかどうか」ではなく、ご本人・ご家族がこの病状経過をどう受容・理解されるのか、ということだと思います。

ーーー

年齢と状態を考えると肺炎の治療がうまくいかない(それで死んでしまう)可能性があることは理解した。またその結果の心停止であれば、積極的処置をしても回復が難しいことも理解した。なのでCPRはしないことに同意した(=DNAR)。
しかし、肺炎治療は順調に進んだ。せっかく回復したのに、このままなら来週退院できると本人も喜んでいたのに、なぜか心肺停止状態となり、それに対して病院は何もしてくれなかった。どうして? そう考えるご家族もいるでしょう。

もしDNARについて「肺炎治療がうまくいったとしても予期せぬ急変はありうる」ということを含めて本人・家族の同意が取得できていなければ、家族の意向は再確認すべきです。少なくともそれまでのつなぎのCPRは実施すべきだと思います。
ただし、家族との間に信頼関係があり、家族の意向も把握していて「家族は(何もしないという)その選択に同意するはず」という確信があれば、救命のための積極的処置をしなくても、家族も納得されるかもしれません。

ーーー

僕は在宅医療を通じてたくさんの人生の最終段階の患者さんやそのご家族に関わらせていただいてきましたが、意思決定において一番大事なのは「何が正しい答えなのか」ではなく「何が本人・家族にとってもっとも納得(妥協)できる答えなのか」だと思います。
医療者はしばしば患者や家族に「正しさ」を強要します。
しかし、医療者の患者家族に理不尽・非合理的な要求をされた経験のある医療者は少なくないと思います。正しさはだれでも客観的には理解できる。しかし当事者になると優先順位が変化することがあります。
大切なのは、時に冷静さを失う家族にとって、それでも納得のできる答えを一緒に探してあげること。
そして、納得のために必要なのは、その結論に至る文脈です。
どう頑張ったって、人生の選択には限界があるし、治療効果にも限界がある。その事実は変えられないけど、それに対する解釈は変えられる。
事実を受け入れろ、ではなく、どうすれば家族にとってその事実を受け入れやすい形に解釈して伝えられるか、それが重要なのだと思います。

医療者の仕事は治療すること。
そう思っておられる方には、くだらないことだと感じられるかもしれません。

しかし、医療現場で経験した「不条理」を、家族は一生背負って生きていくことになります。その事実を「不条理」ではなく、不可欠の帰結として、そして本人にとって実は最善の選択・最善の結果であったと確信できる、そんな文脈を一緒に考えてあげることが、僕は特に人生の最終段階の支援においては重要だと思います。
90代の心停止にCPRしても本人は苦しいだけ・・正しいと思います。
誤嚥性肺炎の多くは寿命の徴候、そもそもそこまでする医学的意義はない・・正しいと思います。
でも、本人・家族が求めているのは正しさではない。
納得なのだ、ということは、知っておいていただきたいと思うし、それがあれば、医療者側にとって「不条理」な訴訟も減ると思うのです。

なんてことをポストしたら「そんなことできると思うならやってみろ」とか「在宅医はポエム好きなやつが多いな」とか、まあそんな感じになっちゃうのがXですが、そういうスタンスで患者・家族に対応してたら、そりゃ訴訟にもなるんでしょうね。やっぱり偏差値だけで医者をつくったらいかんなと思いました。

ーーー

Xでそんなバトルをしながら博多に到着。
大型海洋生物に衝突するかもしれないから気を付けて、と船長さんに脅されつつ出向した博多港。ウェブ会議に参加しながらジェット船で70分、郷ノ浦港に到着すると、壱岐医師会の光武先生と松尾さんが待っていてくれました。
壱岐に来たのは初めて。
運河のような湾沿いに建物が並び、その周囲の丘陵になだらかに建物が拡がる。「小さな長崎市」のような素敵な街並みです。

今日の講演テーマは「在宅医療と多職種連携」、特に栄養ケアとACPを中心に話してほしいというリクエストをいただきました。まさに多職種連携の真価が問われる二大領域、わかっておられるなーと思いつつ、90分間、お話をさせていだきました。
市長の100公約の中にも、「多職種連携」と「ACP」が入っているとのこと。
ACPは「人生決議」じゃない。人生の文脈をともに紡ぐための対話のプロセスであるべきです、という話をスムーズにご理解いただけたのもさすがです。質疑も深いものが多く、日ごろから実践をされておられるだろうということを感じました。

食べきれないほどの海鮮料理をいただきながら、医師会や保健所の先生方と日ごろの実践について意見交換をさせていただきました。島の人口も医療介護資源も限られている。だからこそ保健所や市役所も含めて、日ごろから顔の見える関係がしっかりと構築されている。「全員野球」なんですよね。

沖縄北部・やんばる地域と同様、ここでも、人口が少ないからこそのつながりの強さが生きているように感じました。
専門職の絶対数と専門医療へのアクセスを除くと、地域包括ケアシステムにおいては東京のような大都市部のアドバンテージはあまりない。というか、「地域」という概念そのものが違う。専門職の「地域」との距離も違うし、個々の温度差も大きい。
単一の制度でさまざまな地域をカバーすることの難しさも同時に感じました。

いずれにしてもいろいろと気づきのあった1日でした。
とりあえず今日はXを離れて、ゆっくり風の音でも聴きながら早めに休みたいと思います。

貴重な機会を頂戴しました壱岐医師会の品川会長はじめ関係者の皆様、ありがとうございました。

佐々木淳

643419755 26157067697245754 5631648074426508340 n

関連記事