長生きを目標にしない医療は、間違いなのか
「そろそろ私も『死活』しないとと思ってるんです」
年明け早々に95歳の誕生日を迎えるキヨさん(仮名)は、クリニックの隣のサ高住で一人暮らし。強い脊椎の変形あり、サルコペニアも進行しているが、訪問診療ではなく、歩行器で通院を続けている。
そんなキヨさんだが、今日はひとしきりの診療を終えるとそうつぶやいた。
「死活??」
「この歳になって、いまさら治療をして長生きしようなんておかしな話ですよね。なので、次の誕生日を迎えたら、そこから先は薬を飲むのはやめようと思って」
「なるほど。もうこれ以上の長生きは望まれない、ということなんですね」
「はい。この年末年始は、自分のこれまでのこと、これからのことをいろいろ考えて、気持ちも整理したいと思っています」
「でもまだなんとか歩けますし、時々転んだりもされていらっしゃるから、骨折のリスクを減らすための治療はしていたほうがよいかもしれないですね」
「はい。これ以上、背骨が曲がってもこまりますから」
「背中が曲がると、どうしても胃酸が逆流しやすくなりますよね。キヨさんは以前、胸やけが辛くて、とおっしゃって、それ以来、制酸剤をお出ししているんですが、こちらの治療も一応、続けていたほうがよいでしょうか?」
「あれも辛かったですね。大丈夫かなと思ってやめたら、やっぱり再発して。やっぱり飲んでいたいです」
「おしっこの薬はどうしましょう。夜、トイレの回数が多くてお困りとのことで、こちらのお薬は処方したんですが、これで夜がちょっとゆっくり休めるようになったとおっしゃっていましたね」
「夜中に何度も起きるのは大変でした。このお薬には本当に助けてもらっていますし、夜眠れないのは困りますし、これはやっぱり必要ですね」
「こちらの漢方薬はどうしましょうか。夜中に足がつって痛みで目が覚める、そうおっしゃったのでお試しいただいて、それから時々飲んでいただいていますね」
「これはないと困ります、先生。あの足のつりは本当に痛くて。収まるまでずっと自分でさすっていなくてはいけなくて」
「足の血管が狭いところ、ここが詰まらないように、とこのお薬も飲んでおられますね。」
「足の動脈が詰まると最悪、足を切断することになると病院の先生には脅されてます。生きているうちに足を切るなんてことになったら大変なので、これはちゃんと飲まないとだめです」
ということで、来年以降もとりあえず治療は続けていただけることになりました。
無理やり伸ばす必要はもちろんないけど、無理に治療をやめる必要もないですよ。その日が来るまで、できるだけいい状態で過ごせるとよいですね。
また来月、お待ちしています。
よいお年を。
年末年始、何かあったら、いつでも連絡してください。
こんなほのぼのした診療風景はいつまで維持できるのか。
今日は東京都医師会の役員就任披露&年末懇親会。
東京の地域医療を支える先生方と、これからの東京の地域医療、そして日本の保険医療について、意見交換をさせていただくことができた。
社会は急速に変化している。
しかし、変わらないものもある。
必要性の低いもの、そして不適切なものもある。
しかし、守らなければならないものもある。
そして足りないものもある。
尾崎先生は、これまで十分にタッチできていない予防の領域を強化し、健康寿命をさらに延伸することが、日本の社会の持続可能性に帰すると、その重要性を強調された。
釜萢先生は、オンライン診療などテクノロジーを取り入れていくことは時代の流れであり、推進すべき方向であること、それを適切に育てていくことが重要だとお話された。
社会的共通資本としての医療。
コスト・負債ではなく社会投資・未来投資としての医療。
困難の時にこそ、新しい道が開ける。
そんなことを感じた2時間だった。
戦後の困難を生き抜いたキヨさんのような高齢者が、長生きや、それにかかる少々の医療費を気にすることなく暮らせる社会を守りたい。










