持続可能な社会保障制度は現役世代にとっても重要な課題

社会保障費の現役世代の負担が大きい。
現役世代が高齢世代に仕送りしている、そう表現されることもある後期高齢者医療制度と介護保険制度。
いずれ誰もが高齢者になるんだし社会保障は世代間の支え合いが基本、そんな説明では納得できない人も多いのだろう。今度の自民党の総裁選でも、高齢者の負担割合を増やすというのが1つの争点であるらしい。
自己負担割合を1割から3割に増やしても健康アウトカムは変わらないという研究結果もある。公費負担割合を減らせるし軽症のコンビニ受診も抑制できるかもしれない。

しかし医療依存度が急速に高まる後期高齢者にしても「潤沢な医療が受けられて満足」と思っている人ばかりではないだろう。

特に人生に最終段階、高齢者の多くは救急搬送を繰り返し、入退院を繰り返し、最終的に病院で亡くなっていく。こんな人生を、そしてこんな医療を望んでいる人はいないはずだ。入院に依存するケアは結果として高額になる。実際、高齢者の医療費の8割が入院医療費だ。

自己負担を増やすのはいいだろう。しかし「高齢者は医療を使い過ぎだ、医療費を減らすのに協力せよ」ではなく、後期高齢者・要介護高齢者に「最適な医療」を提供する。結果として医療支出も適正化される。こういう方向で進めるほうが健全だし、高齢者を含む国民の理解や協力も得られやすいのではないだろうか。

在宅医療の現場で感じる、取り組むべきと思うテーマは5つ。
①健康寿命を終えた後の不適切なケア
健康寿命の延伸にはみんな熱心だが(そしてそれは医療支出を減らさない可能性もあるが)、健康寿命を終えた後の健康管理は合理的に行われているとは言い難い。リスク要因はメタボ→動脈硬化性疾患(脳血管障害・虚血性心疾患など)から低栄養・サルコペニア・フレイル→脆弱性疾患(誤嚥性肺炎・骨折など)にシフトしているというのに、ケアのギアチェンジが行われない。たっぷりの薬剤、栄養管理は栄養制限中心、口腔ケアやリハビリとのコンビネーションも進まない。潜在的なリスクに予測的に対応すれば、高齢者の急変そのものを減らすことができるはずだ。

②一次医療をスルーして救急搬送されていく高齢者
救急搬送される患者の過半が高齢者、その55%が軽症だ。本来であれば地域の診療所で十分に対応できる状態なのに、高齢者は診療所を素通りして病院に運ばれていく。定期診療しか対応しない、体調が悪化したら救急搬送を指示する、休日夜間は対応しない、地域医療のこんなスタンスが、高齢者をより高額+高侵襲な医療にシフトさせているのではないか。救急医療は病院で行うもの、ではなく、まずは地域で対応するもの。プレホスピタルケアの充実を地域医療機関の義務(施設基準)として明確にすべきではないか。

③自宅で治療するという選択肢がない
「肺炎だ、入院ですね。」 患者の意向も確認せず、患者の人生の残り時間も加味することなく、パターナリズムで治療方針を決定する医師や看護師、高齢者施設がいまだに多い。入院したほうが確実に治療が行われるが、高齢者は入院によって身体機能・認知機能が低下する(入院関連機能障害)。本人にとっての最善の選択は何なのか。医学的適応のみならず、本人の意向、在宅ケア体制、それぞれの選択の予測されるアウトカム。それらを総合的に勘案しながら一緒に考えるというプロセス(共同意思決定)を確保すべきだ(義務化するならACPではなくこちらのほうだろう)。
自宅でできる範囲の治療を試みる。もしうまくいかなければ、それを寿命として受け入れる。少なくともそんな選択肢があってもよいはずだ。

④入院ベッドが余っている
安易に入院に誘導される理由の一つが「入院のしやすさ」だ。日本には他の先進国と比較して人口あたり3~4倍の入院ベッドがある。このベッドを埋めるために平均在院日数は平均3~4倍になる。一部の急性期病院を除けば空床を放置するより、多少単価が下がっても高齢者でベッドを埋めておいたほうが収入になる。しかも患者負担は少ない。高知県は神奈川県の人口あたり約3倍の入院ベッドを持つ。そんな高知県の県民一人あたりの入院医療費は神奈川県の2倍。でもこれは高知県の人が病気になりやすいからではない。ベッドが空いているから医療機関が入院患者を作るのだ。
日本の総入院患者の7.5~18.4%、総医療費の約10%が社会的入院によるものという報告もある。ベッド数を適正化するだけでも相当の医療コストの圧縮になるのではないか。また、すぐに適正化できないのであれば、医療的必要度の低い入院は診療報酬を下げるだけでなく患者負担を増やすなど、本来あるべきリソースに強力に誘導すべきではないか。

⑤どこで医療で命を延ばすのか、共有しておきたい
言すればすべての医療は「よりよく、より長く生きる」ためにある。どこまで医療で残り時間を延ばすことが自分にとって有意義なのか。どこまで病気として治療し、どこから先は老化として、老衰として受け入れるのか。最終的に気持ちが変わるかもしれないが、これはやはり考えておきたい。そして、自分はどう考えているのか、なぜそう考えるのか、その文脈も含め、信頼できる友人や家族としっかりと共有しておきたい。人生の最終段階で積極的治療を望むのは、本人ではなく家族だ。それによって延ばされる時間が、本人・家族にとって価値あるものならば、もちろん私たちも全力で応援したい。しかし、治療をやめるという判断が誰もできないというだけで本人のQOLを無視して継続される医療もある。このような状況はできるだけ少なくしたい。

結局なにが言いたいのか。
医療の適正化には、医療機関のオペレーションの適正化、医師の対応や判断の適正化が必要だ。患者の負担を増やし、患者側に自制心を求めなければ医療が適正化できないとされるのであれば、医療専門家・医療機関経営者としてそんな情けない話はない。

医療の評価をアウトカムベースにすることは検討すべきではないか。そして高齢化と人口減少を見据えた地域医療計画。まずはこれをきちんと遂行していくことを考えるべきではないか。

医療費の削減に伴う弊害もある。実はいま、新しい抗癌剤の多くは日本では販売されていない。それどころか頻用される薬剤の供給も不安定だ。中には抗菌薬など命を守るために非常に重要なものも含まれる。医療費を削り過ぎた結果、海外のメガファーマは日本という市場に見切りをつけ始めている。一般的な医薬品も製造販売が事業として成り立たないレベルまで薬価が下げられている。

抗癌剤を必要としているのは要介護高齢者ではない。現役世代の人たちだ。日本を医学の進歩の恩恵が受けられない国にしないためにも、医療費をただ抑制する、というのではなく、一人ひとりの患者に最適・最善の医療を確実に提供できる体制を確保する、まずはそのための骨組みを考え直すべきではないか。
そして現役世代の社会保障負担を減らすために、最も重要なのは所得の増大=経済成長と生産性の向上ではないか。
高齢化・重老齢化(高齢者の中での高齢化)が進めば、給付を制限・削減しても医療+介護費の増大、社会保障負担の増大は避けられない。それを可処分所得の減少にしないための唯一の方法は元手を増やすこと。社会保障負担が20%増えても、総所得が20%増えれば、可処分所得も20%増える。

医療依存度の高い後期高齢者の数はまもなくプラトーに、介護依存度の高い85歳以上の高齢者数も2040年にはプラトーに達する。そして将来的には高齢化率40%程度で均衡に達する。その時までに経済活動と社会保障費のバランスさえ取れれば軟着陸することもできるのではないか。

青木社長にお声がけいただき、朝食会で国民民主党の玉木代表と対話する機会を頂戴した。
財務(大蔵)官僚、社会保障制度に関しても、その財源確保としての国債の考え方など、勉強になることが多かった。消費税減税の実現可能性とその根拠についても話も説得力があった。

一方、玉木代表が進めようとされている現役世代の負担軽減という点においては、高齢者の自己負担増だけでは実際にはさほどの抑制効果はないと思う。能力に応じた負担、世代内で支え合うという考え方も重要だと思うが、収入だけではなく、支出の側をもう少し細かいメッシュでアセスメントする必要があるのではないかとも思った。

いずれにしても持続可能な社会保障制度は現役世代にとっても重要な課題。
感情的なインパクトだけではなく、実効的な最適化を進めてほしい。

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