在宅医療の仕事をしていると、時に「社会の闇」のようなものを制度の狭間に見ることがある。

佐々木理事 2023年 6月4日 Facebook記事より 

在宅医療の仕事をしていると、時に「社会の闇」のようなものを制度の狭間に見ることがある。

その中の一つが障害者雇用だ。

企業は従業員の一定割合以上、障害者を雇うことが法律で義務付けられている。

障害者が就労という形で社会参加できれば、生活の自立につながるし、障害に対する理解も促進される。それにより社会全体がバリアフリーに近づいていく。これが障害者雇用の理念だ。

企業も社会市民の一員として地域共生社会の実現に向けてともに進む。とても大切な取り組みだと思う。

定められた雇用率を確保できなければ罰則もある。しかしこれくらいしなければ、障害者を雇用するための環境調整に腰をあげようと思わない企業が大部分だろう。多様性への配慮の必要のない、一定以上の平均的な能力をもつ「健常者」でチームをマネジメントしていくほうが圧倒的に楽だからだ。

悠翔会も障害者雇用を行っている。

一緒に働いてくれているメンバーは確かに少し配慮も必要だが、特定の領域で平均的職員よりも高い能力を発揮してくれている。チームは彼らに助けられているし、彼らがチームの中でその強みを発揮できる、安心して仕事が続けられる環境を整えることが事業主の責任だと理解している。

ともに働く仲間たちも、障害とは何かということを理解し、自然に合理的な役割分担ができるようになってきている。

障害者就労を進めていくためには個々のメンバーの能力を丁寧にアセスメントし、チームの中で無理なく力が発揮できる環境を個別に調整していく必要がある。

少し手間がかかるが、それでも、コーディネートがうまく行けば、チーム全体の多面的な成長につながる。経営者として、これは経済合理性の観点からも有意義なプロセスだと認識している。

実際にはそんな障害者雇用を負担に感じ、法で定められた割合を満たせていない企業も多い。

しかし、雇用率を満たせなければ罰則もあるし、公共機関の事業公募などに応札できないなどの制約もある。

そんな中、「貸農園」を企業に提供し、農園で働く雇用可能な障害者も紹介し、雇用を「代行」するビジネスが広がり続けている。僕の診療圏である千葉にも複数存在する。

企業は、本業とは全く無関係の農園で、障害者を雇用したことにできる。

障害者は農園の中で「就労」という名目で一定の時間を過ごす。ただし、与えられる仕事の量は多くはないし、職業訓練が行われるわけでも、能力に応じて給与が増えるわけでもない。彼らは「雇用された障害者」という「名義貸し」で企業から収入を得ているからだ。

企業は障害者雇用率を確保し、社会的対面を保つ。

障害者は企業から職業能力に関係なく収入を得る。

貸農園業者は「障害者雇用」を代行しマージンを得る。

誰も損しない完璧なビジネスモデルだが、しかしこれは障害者雇用と言えるのか?

企業の一般社員は障害者と接点を持てず、障害に対する理解が進むわけではないし、企業の多様性への対応力も高まらない。

障害者は就労を通じて成長できるわけではない。またビニールハウスの中で一日過ごしても一般社会との接点は増えない。

法律の定めたプロセス要件はクリアしているのかもしれないが、法律の理念からは大きく隔たっているように思う。

もう一つ急激に増えているものがある。

「障害者グループホーム」だ。

これは障害者の自立支援のために重要な社会資源だ。確固たる理念を持ち、障害者の生活の質の向上と社会復帰に積極的に取り組んでいるところもたくさんある。しかし、障害者を地域から隔離し、サービスに依存させて、安定的なサブスクモデルとして運営されているように感じる施設もある。

そして、障害者グループホームと障害者雇用型農園を毎日往復している人もいる。

対面上は共同生活をしながら就労し収入を得ていることになるのかもしれない。しかし実際には、住まいも職場もコミュニティから隔離され、自立にも地域共生にも程遠い。

これは障害者支援と言えるのか。障害者福祉の仕組みを活用したビジネスモデルで、当事者はただ搾取されているだけではないのか。

最低限の要件が満たされていればそれでいいのか。何のためのサービスなのか、当事者目線でのアウトカムの評価をきちんとすべきではないのか。障害者雇用は確かに簡単ではない。

しかし、健常者に最適化した社会を、僕らはそろそろ卒業しなければならない。

日本には現在940万人の障害者が暮らしている。そしてまだまだ増え続ける。日本の社会全体が障害を含む多様性への対応力を高め、障害の閾値を下げ、就労などを通じて社会参加の糸口を増やしていけなければ、コミュニティそのもののの持続可能性が危うくなる。

そして、これはいずれ障害者として生きることになる私たち自身の問題でもある。

認知症ケアも同様だが、まずは当事者ときちんと対話することから始めるべきではないか。

当事者不在のまま、仕組みだけが潤っている。この「ビジネス」で動いている壮大なお金を、社会全体を豊かにするために投資できたら未来はもっといい方向に変わるはずなのに。

前出の貸農園のクライアントの多くは上場企業だ。中には「採れた野菜は社員食堂で使わせていただいています」など、詭弁としか思えない説明で障害者雇用代行を正当化しようとしている会社もあるが、障害者雇用がなぜ義務付けられているのか、そもそも何のための障害者雇用なのか、今一度、法の理念を確認してみてはどうか。

大企業は社会の公器。呪文のようにSDGsを唱える前に、まずは率先して自らの襟を正してほしい。