その人は「喉が渇いた」としきりに訴えた。

佐々木理事 2022年12月6日 Facebook記事より

その人は「喉が渇いた」としきりに訴えた。しかし、施設の職員は、ただ口の中を湿らせてあげることしかできなかった。その体験から、看取りケアに対してネガティブな感情を持つようになったスタッフもいる。あれで本当によかったのでしょうか。

—京都地域包括ケア推進機構の研修会。今日は約80名の特養を中心とする高齢者介護施設の管理者の方々を対象に、ACPと看取りをメインテーマにお話しをさせていただいた。

これは、その質疑で、ある管理者の方から投げかけられた質問だ。

長期化した入院。退院時には摂食・嚥下障害あり、誤嚥のリスクが高く、経口摂取は危険と。入院中は点滴管理されていたが、退院時は看取りを視野に、とのことで、点滴は中止し、老衰としてそのまま経過をみることになったという。

ご本人は強い口渇を訴えるも、医療的な処置はしないという方針で、そのまま看取りとなった。

スタッフたちは本人の辛そうな様子を見るに堪えなかったと。

人生の最終段階、「枯れるように自然に逝く」ことが最も自然で、本人の苦痛も少ない。

一般的にはそう言われている。しかし、これは身体の機能が不可逆的に全汎的に低下した状態においての話。

何らかの理由で摂食機能の低下が先行し、その他の機能が比較的保たれている場合、適切な水分補給や栄養ケアが行われなければ、脱水や低栄養による症状が出現する可能性がある。

このような場合は、例えば点滴で脱水を補正すれば、苦痛は緩和できる。

もちろん過剰な水分投与は唾液や喀痰を増加させ、全身に浮腫をもたらし、ケトン体やエンドルフィンの分泌を阻害する。

枯れかけた植物にいくら水を入れても根腐れするように、穏やかな最期を妨げる可能性もある。

しかし、まだ水を吸い上げる力のあるものに、水を与えず、無理やり枯らそうとしても、穏やかな最期にはならない。

これまでの、いわゆる「延命治療」への反省からか、胃瘻はしないほうがいい、点滴は苦しませるだけ、そんな説明をする医療者が増えてきている。

しかし、点滴=悪、と決め打ちするのではなく、その人の状態をきちんとアセスメントした上で、その人がいま必要としている最適なケアとは何かを考え続けることが大切ではないか。

「枯れるような自然な最期」と、「無理やり枯らせること」は、似ているけれど全く違う。