「治療の成功」を、患者の言葉で考える
いまでも忘れられない患者さんがいる。
90歳を超えて、それでも声の大きい元気なおばあちゃん。
健康診断で指摘された軽度の貧血を心配したご家族のご要望もあり、内視鏡検査をアレンジしたところ早期胃がんが見つかった。
早期の分化がんだが胃体部小弯側、内視鏡手術が難しい部位だった。
もう歳も歳だし、手術なんてするわけないでしょ。
がんが私を殺す前に、たぶん主人が私を呼んでくれるはず。
検査結果の説明を受けてきた彼女はそうあっけらかんと話した。
まあそうかもしれない。
病理のタイプをみる限り、少なくとも1-2年でどうこうという種類のがんではない。
要介護3の5年生存率は40%。部分切除であっても胃を切れば食事と栄養に大きな影響が出る。手術の直接的なリスクのみならず、胃切除をすることで失われるかもしれないQOLを考えると、手術をしないという選択は合理的だろう。
僕も彼女の判断を支持した。
しかし、家族は納得できなかった。
病院に行き、手術をする、という方向で話をまとめきてしまった。
高齢だけど、母の栄養状態と体力なら十分手術できますよ、と外科の先生もおっしゃってくださって。
みんながそういうなら仕方ない。
とりあえず頑張ってきます。
本人も家族の説得に応じた。
僕はもやもやとしたものを感じながらも診療情報提供書を記載して彼女を送り出した。
そして、それが彼女と交わした最後の言語的コミュニケーションになった。
3か月後、彼女はやせ細った姿で帰ってきた。
四肢は拘縮し、食事はできない。会話もできない。声をかけても目線は合わない。
そして2週間後、彼女は自宅で静かに息を引き取った。
高齢者の手術を考えるとき、医療者はまず「手術ができるか」を検討する。
病変は切除可能か、麻酔に耐えられるか、死亡や合併症のリスクはどの程度か。
これらは非常に重要なアセスメントだ。
しかし、医学的に手術が可能であることと、その人にとって手術を受けることが望ましいことは、必ずしも同じではない。
手術によって命が延びたとしても、自分で歩けなくなる、認知機能が低下する、自宅に戻れない、家族との会話ができないという結果を、本人は望むのだろうか。
逆に一定のリスクがあっても、症状から解放され、家族と過ごし、これまでの生活に戻れる可能性があるなら、高齢や要介護であっても積極的に選択しうるのかもしれない。
この問題を、実際の高齢患者の言葉から明らかにした面白い研究が報告された。
61人の高齢者に、手術への希望と不安を尋ねている。
https://lnkd.in/gjw33kk4
この研究は、米国・マサチューセッツ総合病院の周術期高齢者支援外来(POSH(Perioperative Optimization of Senior Health)クリニック)を受診した患者を対象とする後ろ向きの内容分析。
2022年6月から2024年5月までに、待機的大腸手術を予定していた65歳以上の61人について、カルテに記録された「手術に期待すること」「不安や恐れ」「最も大切にしていること」を抽出し、2人の研究者が独立して内容を分類している。
平均年齢は80.4歳、うち女性が75.4%。
悪性疾患に対する手術が55.7%、予定術式は部分結腸切除が55.7%、ストーマ閉鎖が18.0%、直腸固定術が13.1%。
Comprehensive Geriatric Assessment Frailty Indexの平均は0.281。
論文では「軽度フレイル」と評価されている。いわゆる要介護というよりは要支援とその手前の集団というイメージかもしれない。
ただし、疾患負荷は小さくない。Charlson Comorbidity Indexの平均は6.84。
68.9%に過去1年間の入院歴があり、入院回数は平均2.23回であった。つまり高齢に加えて、多病かつ入退院を経験してきた、特に術後リスクの高い患者ということになる。
ここで明らかになったのは、患者は「病気を治すこと」だけを望んでいたのではないということ。
61人全員に、手術に対する目標や期待が記録されていた。
最も多かったのは、がんを切除する、症状を改善する、再発や再入院を避けるなどの「外科的問題を解決すること」で46人。
それに続いて
自立して生活すること:31人、50.8%
普通の生活に戻ること:24人、39.3%
人生の目標を達成すること:8人、13.1%
患者が医療に対して望んでいるのは単なる「治療」ではない。
自分で歩く、自宅に帰る、仕事を続ける、旅行をする、泳ぐ、料理をする、孫の成長を見るなどの「生活・人生を取り戻すこと」なのだ。
これは手術だけに限らないだろう。
ここには、医療者と患者の間に起こり得る認識のずれが表れていると思う。
医療者は、腫瘍を切除できた、縫合不全がなかった、30日以内に死亡しなかったという医学的アウトカムで手術の成功を評価しやすい。しかし患者にとっての成功は、それだけではない。手術前に大切にしていた暮らしへ戻れるかどうかが治療の価値を決めている。
特に在宅患者は、入院すると4人に1人が入院中に死亡する。
自宅に退院できない患者は3人に1人。
そして、退院できた患者の多くも、入院前の生活レベルに戻れるわけではない。
歩けなくなり、食べられなくなり、そのまま衰弱が進行していく人も少なくない。
この研究では、患者が恐れているのは「死亡」だけではない、ということも明らかにされている。
不安や恐れ、優先事項まで詳しく記録されていたのは31人(50.8%)。
うち、
手術合併症、痛み、長期に及ぶ回復:23人、74.2%
自立性の喪失:22人、71.0%
ストーマが必要になること:13人、41.9%
自分で判断し行動する力、すなわち主体性の喪失:12人、38.7%
などが記されている。
手術で死んでしまうことよりも、歩けなくなること、他人に依存しなければ暮らせなくなること、施設に入れられること、認知機能が低下すること、自分で決められなくなることなどが具体的に語られている点がとても印象的だった。
短期間のリハビリ施設は受け入れられても、長期の施設生活は受け入れられないという人もいた。家族に負担をかけることを恐れる人、自分が担ってきた家族の介護や役割を続けられなくなることを心配する人もいた。
特にプレフレイルの高齢患者が医療に期待しているのは「生きるか死ぬか」というよりも、「自分の生活・人生を回復できるか」ということなのかもしれない。
「あなたにとって最も大切なことは何か」という問いに対しては、
身体機能を維持・改善すること:17人、54.8%
家族に関すること:12人、38.7%
生命維持治療を制限すること:11人、35.5%
認知機能を保つこと:9人、29.0%
生命の長さより生活の質を優先すること:8人、25.8%
が挙げられた。
ただし、すべての患者が積極的治療を拒否していたわけではない。
患者の多くは、突然の合併症や回復可能な状態であれば、心肺蘇生、人工呼吸、集中治療などを一時的に受けることを許容していた。一方で「意味のある回復」が期待できないと判断された場合には、長期にわたる生命維持治療を望まなかった。
「意味のある回復」という言葉は、一律には定義できない。
ある人にとっては、自分で歩けること。別の人にとっては、自宅へ戻ること、家族と会話できること、寝たきりにならないこと、他人に全面的に依存しないことだった。
ケアの現場では「蘇生を希望しますか」「人工呼吸器を希望しますか」と尋ねるだけの事前指示書の作成が行われることが少なくないが、これでは本人の本当の意思を十分に把握できないことがよくわかる。
必要なのは、
どのような回復が見込めるなら治療を続けたいのか。
どのような状態になれば、治療の負担が利益を上回ると考えるのか。
本人にとっての判断基準や優先順位を理解するための対話であるはずだ。
これは高齢者外科における臨床倫理の問題だが、在宅患者の医療の選択においても示唆に富んでいると思う。
本研究そのものは「臨床倫理研究」として設計されたものではないかもしれないが、この結果が示しているのは臨床倫理の核心。
つまり、治療方針は、医学的適応だけでは決められない。
臨床倫理では、一般に次の四つの側面を考える。
●医学的適応
●患者本人の意向
●QOL
●家族、介護力、生活環境など周囲の状況
高齢者手術では、医学的には手術可能であっても、術後に本人が許容できない生活状態となる可能性がある。反対に、年齢やフレイルがあるからという理由だけで手術を控えれば、本人が望む生活を取り戻す機会を奪うことにもなる。
重要なのは「積極的に治療するか、治療を控えるか」という二者択一ではない。
医学的に得られる利益と治療の負担を示したうえで、それが本人の価値観に見合っているかを検討することだ。これは単なる治療の差し控えの議論とは違う。本人にとって意味のある治療を選ぶためのプロセスだ。
それには「インフォームド・コンセント」だけでは足りない。
通常の治療の説明では、死亡率や合併症の可能性などが説明される。
それはもちろん必要だが、それだけでは十分ではない。
患者が本当に知りたいのは、治療後に自宅へ戻れる可能性はどの程度か、歩行や排泄、食事する機能はどこまで回復するのか、認知機能が低下する危険はあるのか、治療後に必要になる医療機器を自分または家族で管理できるのか、長期のリハビリテーションや施設生活が必要になる可能性はあるのか、などの自分の生活に直結する情報だ。
しかし現実には、死亡率や合併症率に比べ、機能予後、自宅復帰、認知機能、介護負担についてはやってみないとわからない(十分な予測データを提示できない)ことも多い。
測りやすいアウトカムと、患者が重要と考えるアウトカムが一致しないのだ。
そのような中で、いかに患者にとって最善の選択を支援できるのか。
「治療の成功」を、患者の言葉で定義し直す必要があるのではないか。
樋口先生たちのこの論文の重要性は、患者が生活の自立、認知機能、家族との関係、普通の暮らしを大切にしているという、ある意味では当然の事実を示したことだけではない。
その当然の事実が、現実の治療選択やアウトカム評価に十分組み込まれていないことを明らかにした点にあると思う。
この患者は治療に耐えられるか、だけでは不十分なのだ。
この治療によって、本人が大切にしている生活を取り戻せる可能性があるか。
その可能性と引き換えに、本人はどの程度の負担やリスクを受け入れるのか。
考えなければいけないのは、患者にとっての「治療の成功」だ。
それは病変が無事切除できた、ということだけではない。
患者が、治療を受ける理由として語った、その暮らしに戻れることであるはずだ。
医学的適応、本人の意向、QOL、家族や生活環境を統合して治療を考える。
その臨床倫理の基本を、患者自身の言葉によって改めて突きつけられたような気がした。
佐々木淳
